五月

△ちょっと雨が降っていたので、雨傘持参で長野に出掛けた。長野青年会議所の市民スクール婦人講座に招かれて川柳の話をしに、五月から七月まで五回お邪魔することになった。第一回は「私を語る」がテーマだった。
△折角、長野に来たから御開帳の善光寺をお詣りして、齢相応の思いで手を合わせた。吉田伍堂さん門中の肝入りの善光寺川柳の大きな絵入り額面が目についた。
△須坂博物館で小林朝治遺作版画展が開催されていることを知って是非行かねばならぬと考え、折柄の雨をついてバスに乗った。
△思えば昭和十三年一月号六月号までの表紙「張子の虎」は小林朝治さん作だった。七月号から十二月号は「七夕奴提灯」、昭和十四年一月号から六月号は「押絵雛」、七月号から十二月号は「古型牛伏寺厄除牛」で飾っていただいた。すべて当時では松本郷土玩具と銘打った創作版画である。
△こののちとも表紙を小林さんに連載して貰うことを約束していたのだが、昭和十四年八月五日に生活と製作に行きづまり、自ら生命を断った。このたびの遺作展には逝くなる前日の同好者とのハイドン研究の会の寄せ書きに、既に死を決めていたと思われる句をしたためた色紙があった。西貝篤さんの名も見える。
△私は一度も会わなかった。それで心残りで、その後遺族の方々とお会いしてご挨拶したかったのにいまも連絡がつかず、そのままになって気にかけてはいる。
△こうしてこの版画展を見ることで、故人を偲ぶ機会があったと、せめて胸に聞かせる。久しい対面だと自ら恥じる。オリンピックの出場記念の「スケート」や「善光寺」「象山先生像」「臥竜山雪景」など愛読して惜しまない。
△小林さんと何らかの関係のあった版画家の協賛展示があった。そのなかの棟方志功さん、平塚運一さん、関野準一郎さん、武藤完一さん、川上澄生さん、前川千帆さんたちも、「川柳しなの」の表紙や口絵にご協力をいたゞいた。ほんとうに有難いことと今更に思う。
△過ぎし日はもう戻らないが、生きている私の心のうちに、尽きぬ感謝の念だけは衰えない。