四月

△小学校六年生を卒業とすると中学校に入学した。ほんの二、三分ところにあったが、わざわざ寝坊することはせず、真面目に登校したものだ。いまもそうだが、やせっぽちで身体検査が一番嫌やだった思いが残る。体重は人より軽いのがつらく、その裸ン坊を見られるのがはずかしかった。
△一年生のとき、国語に短歌と俳句が出ていた。正岡子規
  痰一斗糸瓜の水も
      間に合はず
の句を覚えている。この句が教科書に出ていたどうか、それはおぼつかない。
 短歌では前田夕暮とか吉植庄亮という名が浮かんでくる。愛誦して、三十一文字にすぐ馴れた。
△それに前後して漢詩が日本のもの、中国のものとごっちゃに載っていて興味をそそられた。自分なりに漢字を並べた。下手くそながら大胆に平仄を履んで作った。
△四年生になって川柳を教えられた。
 雨宿りごおんと撞いて叱られる
 雷を真似て腹掛けやっとさせ
 こんな句が載っていたが、いやそれもあやしいが、川柳を示されてすごく感動したものだ。
 羅列しただけで、川柳の解説があったものか、先生が親切に教えてくれたものか、川柳という名にそこで出会って、私の人生のなかで育むことになろうとは、その当時考えるゆとりもなかった。
△短歌や俳句には作者が出ていたように思うが、無論川柳の方はそれがなく、教科書では項目に古川柳とでもあったのではないか。
 地響きがして信濃へは
     日があたり
 ふるさと寒く大飯を
     喰ひに出る
 わがふるさとに触れたのが出て、いやがうえにも愛着をそそられた。
△若林昌義先生が教科書以外からたくさん黒板に引例して懇切に解いてくれたのが私にはよかった。没個性だとか反社会性だとかは聞いたようでもない。その学期末の試験で教科書に出ていなかった
  親のすね噛る息子の歯の白さ
 我意を得たとばかり書いた。
化けそうなのでもよしかと傘を貸し
 よりも学生をやんわり押さえていて示唆に富んだ好出題だと今も思う。