三月

松本城を囲んだ堀が凍結するときになると、北アルプスの眺めも峻烈を極める。皚々とはよく言ったもので、ここに生まれ長くここに住む自分でさえ、さすがに壮大な景観であることに驚く。大袈裟な表現だが、驚くほかはない。
△ほどよい気候の凌ぎよさ、そんな頃に訪ねて来る他県人には、早春のフキノトウ、初秋のキノコなど味覚を誘って再来をうながす。土地のものだけが身で感じていればよい厳寒の試練であると思っている。風土が頭をもたげて、人を拒むような姿勢でたちはだかる。
松本城の堀だが、そこは氷が張ってスケートをしたものだった。いまは誰一人滑ってはいない。こんな野暮ったい場所よりも、設備を整えたスケートリングに足を向けてゆく。私たちが若かったとき下駄スケートで滑った。スケートに興味のないものは、駆け足して氷のうえを廻り遊んだ。
 たて廻す高ねは 雪の銀屏風
  中にすみ絵の 松本の里
 鹿都部真顔の狂歌。現に深志神社境内に歌碑がある。この歌碑が昭和の初め倒れたままになっていて、人の目からないがしろにしてあったものを、奇特な人が碑をおこして見ると、江戸時代の狂歌作家であることがわかり、市役所に掛け合って長い眠りから起こしてやったいきさつがある。
△ことしは思ったほどに寒い日がなかったのはここ信州ばかりでなく全国的だったが、しかし北アルプスの雪はいつもと変らなかった。長野県の川柳大会の第一番手は第十六回飯山雪見川柳大会で、三月三日に盛大に開催された。豪雪地帯とはいえ、ラッセル車の活躍をことしはあまり見なかったというが、降る雪は降るべき時期にふさわしいものであって欲しい。
△ 飯山が有っても江戸へ
    喰ひに出る(柳多留三三)
 大飯喰らいと飯山のもじりである。白隠禅師が教えを受けた正受老人恵端禅師の正受庵があるが、飯山雪見川柳大会はここで開かれたこともある。飯山市にいる川柳作家の寺井研三郎君の句に
 雁木の街を歩く
    猫背になってくる
 土地の肌にのめりこんだ勁い執着がまざまざと映し出される。