二月

△訪米の帰途、二月初め日本に立ち寄った中国の勝g小平副首相が、飛行機から降りて来る時、また帰国するときも、タラップの手すりに手を添えておられた。風邪気味で、旅疲れの様子だった。
△それをテレビで観たが、ふっと近江砂人さんが、私たちはいい齢になったから、階段の手すりに手を掛けて、自分を大事にした方がよいと、お手紙で忠告してくれたことを思い出していた。
△あのオヤジ、仰々しく手すりに摑まっているナ、老いぼれたナと、はたの目で見られようと、もうそんなことに突っぱっている年柄でもないからネと、砂人はもうひとつ加えられた。私はそれ以来、判で押したように、毎日私のとこの小さなビルの階段の上り下りに、わが手を添えている。
△こちらから手紙を出すと、きっとこまごまお返事をいたゞき、筆まめな人だと敬意を表していた。一月十日に逝くなったことを知り更に感慨を深くした。名実共に日本一大所帯の番傘川柳の会長としてご努力なされておられたのに。
△いつだったか、朝日新聞関西版に連載された砂人さんの(私の会った人)シリーズ「川柳の窓から見れば」を贈っていただいた。藤沢桓夫氏、吉井勇氏、岸本水府氏、北条秀司氏、食満南北氏、長谷川幸延氏との交遊録で、淡々とした筆致のうちにその人物を活写した好文だった。私は早速切り抜いて砂人さんの「川柳の作り方」の著書のなかにはさんで大切にしていることを伝えたら、大変ありがち旨のお手紙を貰った。
△その中の食満南北さんは絵入りの随筆を「川柳しなの」に寄せて戴いたことがあり原稿紙に達筆で流すように書いてあるので、難読で苦しめられ、校正を送る始末だった。芝居絵に堪能だったので、松本で南北画展を開いてあげた。好評でみんな売り切れて喜ばれた。
助六の舞台を特に所望して、背の低い二枚折屏風に仕立てて愛蔵している。そして大入袋を斜にチョッと貼り交ぜた。
△砂人さんは南北さんの宿替え好きの逸話を書いておられたが、もう引越しの必要のない二人が、気散じに川柳の話をしている別世界のことを私は瞑想する。