九月

△本誌七月号に吉田笙人さんが書いた「永代橋惨事とその手紙」では、その情況をしたためた江戸からの手紙を紹介していたが、たまたま杉本苑子氏の「風ぐるま」を読むと、文化四年八月十九日、警備に当たった渡辺の目の前で、橋板の惨害が起り、最愛の妹といとけない姪があえなくなるところが出て来る。群衆のなかを姪がかざしていた風ぐるまが、突如、下に沈んでしまう。あざやかな筆致でそれがいたましくもあわれだ。
△同じ作者の「葉摘ます児」の方は明るい。あわただしく厠を借りに来る侍があらわれ、掃除せよと命じる。あたふたとするところへ十代将軍家治が、痛む腹をかかえてやって来るあたりがおかしい。
△便通がきいたおかげで、お腹の調子がよくなってからのお目通りにあずかる。「名はなんと申すか」「お父っつあんはいるか」「褒美に名をつけてつかわそう。今日から(お花茶屋)というがよい」
△将軍が用を足した厠は外後架で立ちあがれば胸までしかない囲いだから、向こうがまる見えのお粗末なもの、でも本人にとってはどんなに役立ったことだろう。
△いろいろ噂を立てられ、いつかお召しがあるものと待ちこがれるあたり、つい齢をとってゆく女のあさはかさがいじらしい。
△私が小学校の頃、父の訪ねてゆく山奥の知人宅に、誘われて一緒に歩いて行った。便を催し、乞うと私を連れて外の納屋に案内した。「摑まって下さいよ」と言った。成程、一本の縄が便を足すところに吊り下っていた。手元にやわらかな葉っぱがあった。
△花咲一男さんの「江戸かわや図絵」に紹介されている図は餓鬼草紙。兵火に荒れはてた町で、排便のそばに使用した紙片やべらが散らかっている。「もう藁でふくなと信濃叱られる 安五仁四」は同郷馴染みの藁だ。私が中学校のとき、山伝いの茶屋で借りた厠は、下を見ると潺湲と流れる河屋そのものだった。窓から鳥の声が湧きさわやかに、泰然として小天地を覚えた。
 かえりみて、至らなさんの今日がまた落下する。
  美しき嘘美しき糞と落ち
           民郎