八月

△ことしは思いのほかに劇的な試合が多くて、甲子園高校野球フアンを大いに湧かせた。ハッとする場面に出っ喰わすと、すぐに奇声を昂げる私は、しばしば家族たちを驚かせ、それにつられたみんなを合歓にうながした。野球では私にも想い出がある。
△松本中学五年生の昭和二年の夏長野県野球大会が上田で開かれたとき、中学最後の年でもあったから、徒歩で岡田を経、錦部を通り保福寺峠を越えて上田まで応援に出掛けた。総勢二十人位だった。
上田市内の小学校で寝泊りし、第一回戦は勝ったが、第二回戦で敗れ、その夜、残念会で選手をねぎらって熱涙を共に味わった。翌朝たった三人、さすがにがっかりしたと見え、保福寺峠を越えて帰る者は少かった。その一人だった。途中、沛然と降る驟雨に巒気みなぎり、おのずから山に身をゆだねた。
△翌年、松本商業は甲子園野球大会で見事に優勝した。これを歓迎する市民の群は興奮に渦を巻いた。夜は深志公園で市役所主催の祝勝会が催された。大正二年、野球部が初めてできたとき、ここで先輩たちが練習したというゆかりの地だった。
△松本商業に敗れてばかりいた松本中学は昭和二十二年夏に優勝、やっと甲子園に駒を進めた。だが初陣に敗退した。当時マウンドに立った萩原晴彦エースは、いまテレビデレクターとして、芸術祭賞、ギャラクシー賞芸術選奨文部大臣賞など受賞、めざましい活躍をしている。父は代議士、惜しくも逝くなったあと、身替り候補の夫人が改選され話題になった。
△昭和二十九年春の選抜大会で全国制覇を遂げた飯田長姫高校光沢毅投手はNHK野球解説員で鳴らしているが、夫人は松本市内の丸周印刷所社長の妹さんである。近く明大監督に就任と聞く。
△私の父は野球が好きで、長野で大会があると小学生の私を連れて幾日も宿泊した。松本に県営野球場ができてからは試合ごとに父は日参した。たまには私が観たいからと父に留守を頼んで行ったが、観覧席の向うから父がノコノコやって来るではないか。これにはたまげた。野球キチだった。