六月

△自分の顔はこんな恰好だなあというくらいで、しげしげ見るまでもないから、そんなに気に掛けない。時にちょっと会わなかったばっかりに、白髪がふえた友達と話しながら、自分もこんなにふけているのだろうかと思って、たまには鏡と向かい合い、対面のうえで何か感慨を引き付けようとする。
△もともとやせ型だから細長く、近眼と来ているから、眼鏡をとるともうひとつの顔があらわれる。どっちみちやせぽちには変りはない。ふと貧相だなあと憐れがったり、こんな骨相で大病をせず、よく生き伸びているなと、おかしいところで感心をする。
△白寿祝をして貰ってまもなく帰幽した伯母は、私と同じような細面だったが、若い頃など振り返って見られるほど上品な人だった。それに引き替え今の当主は丸顔である。どっしり落ちつき、物事におじない。太っ肚でもある。お相撲さん型、坊っちゃん風だ。
△少し必要があって「川柳雑誌」の昭和七年七月号を読んでいたら「柳壇諸家に関する第一聯想」というのがあった。小林不浪人は船頭、大谷五花村は村長、前田雀郎はカッパ、井上剣花坊は貸元、坂井久良岐は噺し家、塚越迷亭は兄貴、岸本水府は足袋、村田周魚は校長、麻生路郎はブルドッグ、川上三太郎は名馬とある。(ここは一つだけだが、本文では多くの称呼を並べている)
△このなかで三太郎は名馬のほかに院外団、水族館、耳、袴、萬歳本社一泊、河馬がある。馬の名句をいくつも作っただけに、馬には格別な執念があり、いつの間にか馬面になったのだというのではなく、生まれつきの面魂である。
司馬遼太郎の「余話として」のなかに、
 「むかしの日本人は馬面だったが、どうも近頃の日本人は丸顔でいけません」と、川柳家の川上三太郎(故人)が、そういう意味の随筆を昭和二十年代に書いていた記憶がある。とある。
 馬面の人は頑固で、鞏固な思想と信念が内部にある。村松梢風宇野浩二高村光太郎も骨のあつい馬面だったという。いまの林健太郎羽仁五郎福田恒存も。だが、わが痩せではサマにならぬ。