四月

△部屋に油絵が飾ってある。石井柏亭のサムホールで、春先きにふさわしい画題。戦後、浅間温泉に疎開しておられたご一家と知遇を得、お願いしておいたところ、製作したから来いという。「君は画商かね」といぶかったが、大事にしますと答えた。知多半島を隔てて半田港を遠望する図。
△床の間に井上剣花坊の
  人を皆人と思ふて腹が立ち
の書幅がある。訪ねて来る人で、しげしげ見るうち、自分のことを言われているのかと懸念するかも知れない。そんなに勘ぐることはあるまい。見るべき人に見て貰えば、そう思って掛けてある。
△ときどき掛け替えている。この前は福田平八郎の「夜の梅」であった。細長い図で、梅の古木がどっしり画かれ、下の方から上の方に向かって、淡い闇がだんだん白い明るさにうつっている。月光をあらわすのである。
△季節になったものをこころがけているが、ことしは全国的に春が遅れたようである。静岡の柳友からのお便りも、例年にくらべて開花が足踏みしているとあった。
 こきまぜて木曽路のさくら
      ほととぎす
 「田舎樽」にある。一番早く咲くのが梅、それから杏という順序を踏まえるのだが、信州の山国ではどっとみんな出揃って咲くときもある。春をどんなにか待ちあぐんでいたという恰好である。句のように今年は各地でこんな風景が見られたことだろう。
△花といえば桜をすぐ思い出すほど、日本人にはそのあでやかさといさぎよさを讃えて来ている。花見といえばすぐ桜の下である。でもまだ芽吹くことを忘れた蕾の樹の下で、いつもやるように心の合ったものたちと一献傾けるのは得手勝手なのだろうが。
水上勉の「雁の寺」慈念を画いたり、上州渋川に生まれながら、丹後、若狭の農家、漁場をわたり歩いている漂泊の人、横手由男がひょっこり来られた。孫たちを加えて一家と談笑しているとき、ひょっと心が動いたのか孫娘の顔を画いた。眼元が何となく優しさを訴えている。額に入れて、これをいつかわが部屋に飾るさわやかさを今からわれはえがく。