三月

△いまの林家正楽でなくて、この前の林家正楽さんに上野鈴本でお会いしたことがある。その頃、田中野狐禅さんが「紙と鋏の芸術」を本誌に連載中で、毎号正楽さんに送っていた関係もあって、刺を通じたらすぐに楽屋から出て来られた。信州飯田出身ということもあり、仲よくして下さった。
△路郎忌で上阪したとき、角座の前を通ったら、桂枝太郎さんが出演しているのがわかり、木戸にお願いしておいたら、どうぞと楽屋に案内され、枝太郎さんにお会いした。そのとき名入れの手拭をいたゞいた。
△都々逸(いまは街歌ともいう)作家でもある枝太郎さんから前以て東京からお電話があり、お待ちしていると原稿持参で機関紙「やよい」を印刷してくれとおっしゃる。快くお引受けすることにした。世間ばなしをしているときでも、ちょいちょい小咄めいた話題になって笑わせた。この点、宮尾しげをさんもそうである。
△しげをさんが用があって松本に来たとき、急に少年刑務所に講話を頼まれると、本誌をペラペラとめくって川柳を抜き書きして出掛けた。画を書いて見せ、川柳を詠み上げて少年を喜ばせたに違いない。
△枝太郎さんも少年院とか、刑務所にすすんで出掛けていって、心をぬくませる話をなさった。菊田一夫の「鐘の鳴る丘」というラジオドラマがある。有明高原寮をモデルにしたものだが、私が頼まれて川柳の話をしに行ったとき、枝太郎さんが来て書いた色紙を見た。広く慰問奉仕に尽くされていることをそのとき知った。
△三月六日、NHK教育テレビの(江戸の昔・浅草寺)で、旧知の杉原残華さんが出られた。久し振りの対面である。枝太郎さんはこの日逝くなられた。残華さんも同じ都々逸作家である。追って十日NHK第一放送で、思い出の芸と人の番組に、残華さん、しげをさん、林家正楽さん、木下華声さんが故人を偲んでおられた。故人の落語「アドバルン」のあとの廓噺がとても粋でしんみりさせた。
△昨秋、奥さんがご一緒に枝太郎さんが松本に来られた。神経痛に悩まされ、早く帰京する列車で、話しているときは元気だったのに。