十一月

△落語の桂枝太郎さんが奥さんとご一緒にひょっこりやって来た。久し振りである。翌日ゆっくりお邪魔したいと言って、その日は美ヶ原温泉に静養とのことで、無理にお引きとめしなかった。
△きっと来るのだろうと心待ちにしていたが、夜、電話があって、神経痛に悩まされてお伺い出来なかったと申され、予定を変更して翌朝特急で帰京するという。それで特急始発の少し前に行ってさがしたら、しょんぼりと座席にいるのを見つけた。しばらく話し合いまたの機を約して別れた。
△十月二十九日、もと同人である名越新華さんの長逝に遭った。創刊以来の仲間で、「川柳しなの」を語るとき忘れられぬ人だったが惜しまれる。葬儀の日、岩井汗青君と共にご霊前にぬかずいた。
 中学校同級生熊谷寛夫博士の逝去が新聞に報道された。十一月五日だった。東大から千葉大、そして日大に教鞭をとっていることは知っていたが、同輩の死にいたく感動を覚えさせられた。物理学の泰斗だった。
△その頃、紫綬受賞の発表のなかに阿木翁助さんのお名前があり、早速祝電を打った。下諏訪町出身疎開しておられたときに拙誌を送ったよしみがあり、つい最近「演劇の青春」という半生記を綴った好著をいたゞいた。なつかしい人たちが登場している本だったので、読後感を寄せ、自分なりにかかわり合いを明かした。
△日曜日、ぼんやりしていたら、「百趣」で古備前焼の壺が購われたが、包装に手伝ってくれぬかと家内に呼ばれ、のこのこ二階へ行った。お客様が待っておられた。話をしているうちに、宗門帳から地方語を渉猟しているとのことで、つい二、三日市内の広沢寺に滞在しておられ、偶々私の家内の実家の菩提寺でもあり、すっかりうまが合った。川柳の話になると、山路閑古さんのご子息は学芸大学附属高校時代の教え子だったと申され、いよいよ縁の奇なるを覚えた。國學院大の金田弘教授である。
△十一月十日、十一日、比企蝉人さんがわざわざ拙宅を訪ねてくれ松本城、開智学校を観に信州の秋をたのしまれた。友去り友来たる感慨多き十一月だった。