六月

△今から丁度十一年前、米寿祝いの席上でわが伯母は、自ら編んだ腰紐を列席した人たちに配った。又とないこの佳日のために幾日かを費やして、こころを凝めた贈物をしたのだった。そして丁寧にキチンと謝辞を述べてから、嬉しそうにニッコリ笑った声が今も耳に残っている。
△それに今度は白寿祝いということで、ごく近親の者たちが相寄ってねぎらった。今日は何の日だっけといった顔つきをしてはいるけれど、そして米寿祝いのときのように謝辞まではなかったが、オヤオヤ忙しいのにご苦労さまだね、私のためにすまないね、耳は遠くなったが、みんなの話してることはわかるんだよと、始終もぐもぐ何か食べながら、そんな風につぶやいていることが伝わって来る。
△この寿宴に挨拶を兼ねて伯母の近況を明かしてくれたのは、甥に当たる松岡弘さんだった。多忙の処この日のためにやって来た。米寿である。信濃教育会長の要職にある。この祝宴がすんだあと、すぐに公用で上京を予定していた。
△宴酣になって、めでたい漢詩を朗誦する人、民謡を踊る人、歌謡に戯れる人たちがつぎつぎと立って興を添えた。松岡さんも長々と詩を朗読した。それは何かおのずから鎮まる調べとなって口から流れる朗唱のようにも聞こえた。そらんじていてすらすらと、すこしもよどむことなく続いて行くのだった。藤村詩集の中にある「常盤樹」である。すごく厳粛をたゞよわせ、また心をひきつけた静けさがあった。
△前のひとの長いのと対照的に私は川柳を披露した。
   ここに生く はるけき夢を
     めでたがり
 二度くちずさみながら何か知らわがたかまりを覚えていることに気付いた。
△この日にと朱盃に揮毫を頼まれ私は(白寿)の二字を五十ほどしたため、そのひとつを選んでいただき、それが出来上がっていた。私は「白」の字を長細く意識して書いた。久しい寿齢にこと寄せたのだった。なみなみと酌いだ酒の香りに、白寿が浮かびあがり、その白寿までの遥けき彼方を思い、私のいまの齢の重みをとらえていた。