五月

△こどもの日には都合でとても子供にサービスしてやれぬからと、少しさきがけてうちの伜は五月二日に針ノ木岳に小学校四年生の女の子と、幼稚園にいっている男の子を連れて出掛けた。
△全国的に快晴だったからすごくたのしかったようである。夕飯のときにそれとなくみんなの話を家族と一緒に聞いた。
黒部ダムに入る手前、扇沢ロッジから左へ入ると針ノ木岳の麓になるが、そこを入ってゆくと、山の仲間たちが「こんにちわ」と孫たちに声を掛けてくれた。お父さんのいうには「山に入ればみんな友達なんだよ、ああして友達になったからには、万一のときに助け合うんだ」と聞かせた。孫たちはそれはほんとうだな、たしかだなとうなずいていた。
△麓ではまだ雪があるから、盛んに岳友はスキーをやっていた。孫たちも何となく上からすべって嬉々として遊んだ。山の匂いはふんだんにたちこめ、五月の薫る風ともなって過ぎた。
△帰りに地元の松本のアルプス公園に寄った。郊外というものの馴染みの小高い山んほ少し入ったところだが、青年会議所勤労奉仕にわざわざ「発表の村」「あそぼう村」「つくろう村」といった趣向をこらした造成に、子供たちの遊びの広場をこしらえたところ。
△この日、オープンとあって、三万人の親子連れがどっと押し寄せて賑わったが、あまりにも多い人出に驚いて、そこそこに引き戻って来てしまったという。
△ちょっと臍曲がりだが、自然そのままの山の気にふれる孫たちがおかしいのか、山の国、松本でこしらえた「村」という広場で遊ばねばならぬものたちが合理的なのかと思った。
△もっと静かになって、孫たちもこのアルプス公園に行くのだろうが、自然をまのあたりにするこの地にすら、つくられた広場というものの出現がもたらされ、造成のゆゆしさと、時の価値の不思議さに、ハタと老いの認識を嘆かなければならなかった。流されるものは時だけではなさそうだ。
    雲いろいろ 田舎に住める
            おのれの子