四月

△みんなで出掛けようと、案外早く言い合わせの出来たことは何よりだった。長野市安茂里はずっと前から知られていたが、更埴市の森・倉科・生萱地区五キロ四方に亘って、薄いピンクのあんずの花が咲き揃う風景は、このところいろんな報道で知られるようになり長野県内に住む者にとって、お国自慢のひとつに数えるのにこの目でたしかめたい。そんな気持もあってか、第二十二回あんず祭協賛の川柳大会に参加することにしたわけである。
△長野県にはいくつか吟社があるが、そのひとつ、ちくま川柳社主催で行われ、宿題も趣向を凝らし「花と子供」「花と歌」「花と商魂」「花と自然」「花と観光」「花と人情」「花と夢」で、花オンパレードの華やかさである。
△花に嵐のたとえのように、四月十七日は自動車ストで、スムーズに楽々と松本から目的地には行かれなかった。幸い前夜打ち合わせておいた川柳仲間の宮入古堂さんのお世話で、篠ノ井駅前から個人タクシーを駆ってノロノロ運転。何しろ音に聞こえたあんずの里のこととて、日曜でもあり自家用車が珠数つなぎ、なかなか会場にはスッという風に横付けにはならない。
△運転手さんが気を利かせてくれこの辺で降りた方が早いですよというわけ。このあたりのあんずの花の可憐さを賞でながら語り合うのもいい散策である。この地にあんずの花が咲くようになったのは、今から三百年程の昔、伊予宇和島藩主伊達遠江守藤原宗利の息女が、信濃松代藩主真田侯にお輿入れのとき故郷の春の回想にと種子を持参したのが始まりと言われ、この地の気候風土とほどよくマッチ出来たので、今日の殷盛を見るようになったのだという。
△小高い山があり、眺望台ということで、ゆっくりゆっくり登りつめたところで、「一目十万本」のキャッチフレーズを味わった。すごい人出で、あちこちに特設売場が設けられ、それもアルコールものの姿を隠しているのが、何よりあんずの里らしいおちつきただよわせていた。甘酸っぱいあんず干しをしゃぶりながら、花のなかに川柳を打ちこめる愉しみを充分生かしたいと思った。