二月

△頼まれると勇んで出掛ける方だというと、少したかぶっているように思われるが、本人はいたってさばさばしたもので、別に恐るべき大言壮語は覚束なし、まして博学多識とは縁遠いから、尻尾が見えないうちに退散でお茶をにごす方である。
△Rクラブ幹事会が新春らしい話を聞きたい、そんな奨めがあって臆面もなくみんなの前で喋った。年の暮れと正月の気分の、まだ重なったようなチャンポンの時期を承知のうえで
   十四日昨日は胴で今日は首(柳多留十一)
を持ち出し、度胆をぬいたつもりでいて、仕舞いの方で吉良上野介の養嗣の義周が、諏訪高島藩に引き渡される説明に及んで、やっぱり郷土にこだわっているなと自分で思い込んだ。
△図に乗って、松本市里山辺の広沢寺地籍の兎田の話をした。
   兎田は恵み深志の御恩田(柳多留七十二)
 徳川家に伝わる年の初めの兎の吸物の由来である。一転して信濃者の出稼ぎに移るあたり、得意げな顔をして一応頬を上気させた。
△田舎者のついでに素股であしらわれた艶笑譚を明かした。あとになっていまはどうかなと、みんなに揶揄された。その成熟のほどを知る限り、われながら話題の未熟さに首をすくめた。畳をこすらせるまでに、今の谷は深くて果たして届くかといぶかるのであった。
△巳の歳だから蛇にまつわる縁起のいい逸話をからませ、金に因んだ話しになると、真田の六文銭から影武者も登場させ、
   廻り右して世を見れば
     うららかさ   晃卓
でしめくくった。
△質問のとき、川柳と同じような民衆詩の都々一坊扇歌の人となりはどうかとただされた。私の友達に杉原残華という人の本に出ているし、石川淳の何がしの本に伝記があった筈だがと答えておいた。
△「諸国畸人伝」中公文庫は解説が中村幸彦さん。十年前、昭和四十一年に筑摩叢書として筑摩書房からも出た。内容は中公文庫と同じだが、どちらも持っているとあとで言い添えた。それを受けて炉辺にくつろぐ伴侶となってくれたろうかと思っている。