十一月

△待っていてくれるというのは、全く有難いもので、その日はいたって快晴、少しくらいはわかって貰えたろうと淡い期待のうちに出掛けた。前に行って話した内容が気に入ってくれ、また話のあとで実作に誘いこんだら、初めての試みだと、みんな不安げな顔つきでいても、そこは年の功とやら、せっせと鉛筆でしたためてくれたっけ。
△この前に来ていたゞいた外に、どうも今度が初対面のような気がする顔触れも見え、同じ年頃、酸いも辛いもという思い入れにそこは百も承知、女の方々がやや多いと見てとりながら、この地のお寺のことをもう一回話すことにした。
廃仏毀釈でいまはないお寺の由緒と、そこに来た江戸の戯作者とのつながりにひっかけて、川柳のえにしがここに住む人たちともある風に向けていった。少しはワルになり、いやらしい口はばったい調子が出始める頃になると、あたりがシーンとなったり、ざわめいたりで、図にのると、入歯のガクガクもつい忘れて、示しあわせたふたりの仲みたいに心おきなく、のこのことみんなの席に割り込んで、で行こうとして、またためらった振りをして続けた。
△生き甲斐というものは、年寄りばかりでなく、どんな年代にもあるものだろうが、ここに銘打った講座によれば老人生甲斐教室というほどのしかつめらしさがあっても、雰囲気としては生きてよかったという実感をいま知る方が先らしい。句の意味がわかるとうなずく笑顔にやわらげられ、自分もこうして人生の道草を食っている現実がいとしくなってくるような気がし出すのである。
△今日はとてもいい天気だったので、早速席題「秋晴」で投句を求め季節にオンブした人生感を期待したわけだったが、やはり生マな季節感にこだわって少し期待はずれでも、もうひとつの「初恋」に、不発だった思い出、いま若さを呉れたらという願い、美しいむかしへの感傷をたたえた内容が、わりかし素直にまとまっていてくれて救われた。
△次の機会にまた会いましょうというしめくくりに、すぐには立ち上がらないで、何かまだ出るのかとも、そんな恰好だったが、私が席をはずすと、どっこいこらしょとも言わず、みんなにこにこ腰を上げて連れ立つ姿、これがほんとだなと思った。