九月

△還暦になったものたちで、いい記念だから自分で費用を負担し、同好者に集まって貰い、川柳大会を開いたらという話があった。それまでは還暦に近い人が一しょに合同して開いたのだったが、それ以後はきっちり還暦のものだけやって見たらというのだった。
△率先、名乗りをあげるものがあったが、どうもパッとしない。尻込みをしているようだった。はっきり手をあげて見ればそれまでなのに、変なところで見栄を張ったつもりなのだろう。みんなに祝って貰うのが気恥ずかしいのかも知れない。そんな費用をかけるより、もっと質実に句作に専念して、この際お祭り気分はよそうという気持ちもあったのかも知れない。希望者というよりも、該当者がこのままで通り過ぎたいというのがほんとうで、自分たちからお膳立てしてまでもちやほや大会とはちと大人げないということにおちついたようだった。
△還暦とレッテルを張られるほどおとしよりでないという気っ腑のよさを示そうと、そんな軽い突っ張りがあったようにも思う。みんなに集まっていたゞく時間がもったいないように考えられたこともあろう。
敬老の日というのは九月十五日で、おとしよりの部類に入ったものたちは、町内で招待するから敬老会に出てくれというお達しが私にあった。なるほどそう言われて見ると、新聞の見出しによくある「老人」↑とは、自分の齢に近いから、たしかに該当者であることに間違いない。
△旗日で、工場が休みだから少し調べものをしたいと思っていた矢先、さそわれたときは一応ことわって見たものの、出席者が少ないから、賑やかにしたいという町内会長の心組みに賛同して、私もつい出ることになった。
△私はおとしよりになりました。どうぞとご披露するわけでなく、それらしいものたちがいささかの酒肴にありつき、少し雑談をし合い、適当に湯に入り、しばし悠然と雲を見る小さなおごりを味わった。こちらから名乗り出るまでモーロクはしていないよと強がって見ても、ジリジリと押し寄せる波をかぶっているていたらくである。