三月

△創立何十年になったから、その事業記念として募金を集めたいという趣旨書が来た。卒業の回数ごとに委員があって、特に力添えを懇請する委嘱状が別についているが、いつの間にか相当な顔触れと一しょに私の名もまじる。
△委員だけの小集のとき、これからバックアップする話し合いが持たれ、さしあたって活発な誘導をしむけたらという声があった。いつもそうだが、居所のわからぬ同窓生もいて、これをどうするか、学校の方では委員にまかせっ放しで、送金は学校へという筋合いだから、その居所をたしかめるのに大変だった。
△名簿のなかから消えているといえば、すぐ一抹のさびしさを感じる通り、物故の諸君である。そこまで気を配る必要はなかったし、毎年九月第二土曜日に同級会を開催することにきめたあの日の同志が、急に逝くなったという知らせを受けおやっと思い、わた齢を振り返る。そうした御遺族にかぎって故人の意志ということで基金を配慮していたゞいたことがわかり逝くなった友人の俤を追うことにしきりである。
△先日乞われるままに老人教室の講師でちょっと話をしたとき、聴いて下さる方々が、こちらと同年輩であることが親しみを深めてくれたし、お互いの年齢でないとわからない話題も、納得して貰えたろうとひとりよがりに考えたことだった。
△何でもいいから句を作って下さいというと、細長い紙に思い思いの傑作が出来、川柳と俳句の違いを超えていくつかのうたが披露された。みんな楽しかったらしく、一句一句詠みあげるごとにザワザワとさわがしく、そのざわめきもこの年輩らしい味のある口あたりだなと思った。
△戦争が終ってしばらく経つと、各地で川柳大会が開かれるようになり、私はよく東京へ選者として出席した。句会の合間に、若い新進気鋭の方たちの話を聞くと、あの老体振りはどうだ、悟り気な作品は何だ、笑止だという批判を交わし合っていた。私は黙っていたゼスチャーたっぷりの悟り気の発露から生まれた作品だったら、またそうした心境はいいな、あのときはすぐに思わなかったが、いまの坐臥からは素直に受け取っている。