十一月

△インコ二羽を飼っている。毎朝私が餌をやることにして、餌箱に餌を入れ水も替えてやる。必ずといってよいほど、私の手を嘴で突ついて愛嬌を振りまく。少し痛いが、気持はよい。何となく鳴声をたてて、あちこち飛びつき、飛びついてはしゃいでいる。
△手乗りを習わせた。たまには籠から出して自由にさせ、呼ぶと手に乗ったり、肩にたわむれたりしてくすぐったい。籠の入口を開けておく。遊び疲れた頃、声を立てながらノコノコと巣のなかに入ってゆくのである。可愛い。その姿は童話にあるようで、孫たちも静かに見ている。あたたかく、心をなごませるのである。
△家族の者にはそれぞれ分担があるものと心得て、私は道路を掃除することにきめ、毎朝店の前の歩道を掃く。煙草の吸い殻が殆ど欠かしたことのない毎日である。町内ではところどころに特にこしらえた吸い殻箱を設え付けたのにここへは目をふれず、あたりかまわず捨てて行ったことになる。
△季節の変化で、此頃では街路樹や家々の庭から舞い落ちた落葉がちらかっている。大きいのや小さいのが目立つうちに、いつしか少くなってゆく。ああ晩秋だなあと思う。そして風が冷たく、街の姿も変って、はたはたと通り過ぎる季節のうつりに膚が感じとる。
△朝、散歩してゆく顔と馴染みになって、こちらから「お早よう」と挨拶するようになると、今朝はどうしたのだろう、まだ見えないと箒の手を休めて、いつも来る方を眺めたりする。
△ゆっくりゆっくり歩いてゆくのは邪道で、スカッスカッと潤歩するのがよいという。中には競歩のかたちで両腕を動かしながら、気ぜかしく通る若者もいる。犬と一しょになって小走りに走る動物愛好家もおれば、もうすっかりくたびれたよ、おさらばを言いたいところだが、先方からまだ迎えに来ないので、まだ生きています風なお婆さんにも会う。
△新聞の配達の人たちとは滅多に顔を合わせない。こちらが遅いせいだし、そんなに早く起きる寝覚めでもないからだ。掃きながらうちのおやじもこうしたっけとそう思い、時の流れに頬を撫ぜる。