十月

△丁度、農休みになったし、日曜日だから、思い立ったが吉日と、私の家内の父の米寿の祝いの宴が設けられた。とてもよく晴れた日で、お自慢の庭を背景に、家の子郎党といった面々が主賓を取りかこんで、カメラの前に勢揃いした。撮る者はこのことあると東京から馳せ参じた孫で、東京都立大を出て就職したのも束の間、写真に転向した変り種の御仁である。
△あんまり大勢に見つめられ、それも松本駅に到着、直ちにハイヤーで来たばかりの息使いの新米でまごまごし、セルフタイマーの故障かと、カメラの前に点検に行ったところで、カチリと動いたのでこれまたご愛嬌、その踊ったところも一緒に現像しろよと、みんなにからかわれる始末。またもう一回やりなおしとなったが、無事撮り終ってホッとする。
△お祝いの言葉をみんなの代表で私が指名され、内容は型の如きものだったが、終りの方で白寿への道の続くことを言い添えて、ヤンヤと拍手がおこった。答辞となったが、平素口数の多いご本人だから、発止と毒舌が飛んでくると思ったのに声が行き亘って来ない。みんな敬虔な気持で頭を下げていたのだから、ハッと頭をあげてうかがうと、涙ぐんで感激の一瞬。
△さっと緊張が流れ、無言の答辞が劇的だなあと誰かが言うと、そのままガヤガヤと、涙っぽい風景をやわらげるように仕向けてゆくのだった。やがて乾盃の音頭がとられ、酒間の応酬がしきりにおこなわれるにつれ、米寿のおじいちゃんが、孫やひ孫までに取り巻かれた嬉しさに、思い出したように唄のかずかずがほとばしるのであった。
△それは謡曲であったり、昔の流行歌、はては都々逸やこの地の古い民謡に、私たちをたのしませてくれ、かえって老いてなお旺んなところを見せて、だんだん図に乗って来たので、一層雰囲気が上昇私が赤とんぼの画賛に
   味付けの自慢
       米寿が受け持って
の句を差し上げると破顔一笑、「アハハ」とくずずのである。なかなかものの味にきびしく、鍋物は最初から自分で味付けが好きだ。私の本家の大伯母の九十八歳もおよびしたかったなあと思う。