八月

△赤い月が浮かんでいる。何かを考えているようで、むしろ暑い夜の空に異様な色をよどませて沈痛である。八月に見る月は、この赤さが私の胸をしずませる。一ト月おくれの田舎のお盆、汗っぽくネチャネチャする膚ざわりの実感は、逝くなった人の御霊を迎えるにふさわしい猛夏八月だという。
△猪股雀童さんは昨年十二月二十二日に逝くなられた。新仏であるので、おそくなったが十五日、お家に未亡人を訪れた。遺影が親しげに、私の合掌を見ていた。お元気だったのにと今更偲んだ。世話好きだった故人らしく、食満南北さんの「待ち人の眸に蝙蝠が引きかへし」の横額がある。南北さんは「川柳しなの」をこよなく愛して下さり、画入りの随筆をよくご執筆してくれた。私は頒布会を思い立ち、南北さんの揮毫をうながし、同好者に頒けた。雀童さんもその一人である。前田雀郎さんの短冊がかかげられている。税のしるべの地方大会で松本を選ばれ、雀郎さんが来たとき、みんなで揮毫して貰い、御礼を差し上げたがその一点である。「寿はどうくづしてもめでたい字」くは久、づは津の仮名くずしで達筆だ。
△二木想夢庵さんも新仏。十一月二日に他界された。市中でもここはさすがに郊外、青々と田んぼがひろがっている。「一日の幸がはじまる朝のお茶」の短冊が居間にある。箱守五柳さんの筆蹟。朝この句を見ながら、想夢庵さんは勤めに出られたのだなと思う。お家を辞し、炎天下、知友のおもかげを追いながら自転車のペダルを踏んで居る。
△八月十六日は私の誕生日。暑いときに生れたものだと、母の大儀をつくづく思う。小学校二年生になった孫は女の子だが、家族のものたちの誕生日をよく覚えていて、自分で考えたプレゼントを渡すことになっている。私にも与えられたが、桃色のリボンで結ばれた包み紙を開けてみる。いくつもの紙で包まれ、やっとひらいて、ハンカチを一枚、消しゴム二個。
△ハンカチはもっとスマートになれという洒落か。消しゴムはいつも何か書いているおじいちゃんへの激励か。そしてレターがある。「がんばってね」ウン、頑張るぞ。