六月

東北線に乗るべく上野で乗り換えて隣りのひとはと見ると、私くらいの年輩の男性で、一ノ関まで行くという。戦争のとき、随分世話になった方が逝くなって、その弔問だという。非常に丁寧で、話がほんとうに聞きとれ、うなずくと、向うからも話をつづけてくれるのである。私が信州人だというと、うちに大町市から来ている青年がいるが、大町はどんなところかと問いかけて、こちらの話を聞き入れようと誘いこむのである。
△仙台からの帰りには、三十そこそこの女の人と隣り合った。話すと岩手県からだという。ひとりでなく、ドライブインの勤労の朋輩と慰安旅行で、郡山から乗り換えて新潟に出、佐渡ヶ島遊覧に出掛けるのである。九州方面から北海道にゆくトラック便なんかあるでしょうねというと、顔馴染みになってすぐわかりますね、わりにさっぱりした性格の人が多いですよと話す。車内販売で買った蜜柑をいただく。冷蔵しておいたすごくつめたい蜜柑である。着換えを持って来なかったけれど、佐渡は寒いでしょうねと、心配そうに私の顔をのぞきこむ。
△郡山で別れたとき、ホームを見たら一団となって、みんな嬉々として指図を受けていた。そのなかにそのひともいて、目礼して別れていった。お大事にと私も目礼したっけ。
△私は仙台の旅から帰ってから、やらねばならないことがあった。行く前に「百趣」の店のお客様に郵送するお買物のなかに入れる色紙のことだった。そのお客様は前日やって来て、これはと見当をつけて行ったらしく、翌日やって来たが休日のところ、特に戸を開けて買っていただいた。信濃の道神仏の拓本や津軽の凧絵などであったが、送料はこれで代えてくれといって「北海道遊里史考」を私に示した。
△図に乗る性分で、私は膝を乗り出し「生れては苦界死しては浄閑寺」の句があるが、作者は花又花酔で職業はこうだと話しているうちに、君は川柳家か、送ってくれるときはぜひ君の川柳を色紙に揮毫して同封を頼むという。
△私が行った東北線からまだ北上して、この人のいる室蘭は遠いなあと小包を撫ぜて無事を祈った。