五月

△ちっぽけな印刷所だから代表取締役なんて、大それた肩書を誇示するどころか、毎日事務所にかじりついて電話の応待にかしこまっている。訪問者はまさかこんなのが代表取締役とも思わず、こちらも思われるつもりもなく、ヘイコラ低頭という仕草で接する。
△そこへ持って来て、今度は個人経営ということで、(百趣)を開店して約一年、専従者は妻と、それから伜の家内に担当してもらい何とかつじつまを合わせて、今日までに至った。まことに泣き笑いの一年であったことはたしかだ。
△まさか、この歳で店頭販売をやろうとも考えなかったのに、ヒョンないきさつで、家の者たちだけでやろうじゃないかと相談が一決したのだから、欲張りにも聞えるが、内情はやや深刻で、小さなビルだがいかにしてこの借財の返済を捻出するかに逢着すると、ちょっと弱気が出そうのところをグッと押さえて、人に貸さずに自分たちで経営しようということになったのがほんとうのところ。
△印刷所は日曜、祭日のほかに特別休暇が年に十八日間ある。百趣の方は松本の商店街の休みに合わせて水曜日。だから印刷所と百趣の休みはすれ違いで、家族たちは休みが一致しないことになる。どこかチグハグだ。でも誰も愚痴を言わないのがいいところ。
△夕飯にはみんな顔を合わせてガヤガヤワイワイ。私は酒亭のとまり木の低酌の雰囲気が性に合わず全くこの世界を知らずに家ベッタリの野暮さだが、自分はそれで満足し、家族たちも、たまにはよそへどうかなどともオクビにも出さないのがうれしい。
△テレビを見ていて、いい加減のときに私はひとり寝にゆく。どうも眠くなった頃合いをねらう。ごろりと横になると、のびのびしてからだが休まる。寝ていて誠にすまないが、岸本水府さんの
  よごれてはいるが自分の枕なり
の横額を眺める。煙管の画賛。私は煙草を喫わない。恐らく一生たしなむことはないだろう。やっていて中途で禁煙したのではなく、喫うつもりはなかったし、喫うきっかけを見出さなかったのだろう。でも水府さんの句はこのまま私に恰好で近寄ってくれる。