十二月

△前の店の「百趣」のお客様が寒そうだから、印刷所の事務所にあたためてやって貰えないかと、若い娘さんを連れて来た。塵を払い少し店を掃いたと思ったら、このお客様が顔を出した。ストーブに火を入れないうちに入って来たものらしい。
△こちらはうまい具合にストーブが暖かくなっていたので、見ず知らずだったが招じ入れた。バイオリンと手さげかばんがある。聞いて見ると教室に来たのだという。K市からである。家内に言わせると、たまたま訪れるお客様でその都度何か買って行くという。
△この日は伜夫婦が仕入れに上京したので、私たち夫婦だけだからお昼のものも餅に決めていたが、餅があるよ、どうとすすめると娘さんはいただくわといった。ストーブに餅網を掛けて、餅を置いている間、私は事務の帳簿を整理していた。餅の焼き加減は娘さんの番で、家内は「百趣」の方に店番というわけ。
△うまそうに焼けた頃合い、家内も来て、私も一緒に味噌をちょっとつけていただく。こんがり焼けそのなまあたたかさは格別で、お昼にはちと早いがうまい。娘さんも食べている。そうこうしているうちに、「百趣」の方もあたたまったようだ。
△いただきましたと、丁寧に頭を下げて印刷所の事務所を娘さんは出て行った。何かしてやったと、押しつけがましいつもりもなく、あっさり出てゆく娘さんを見る。
△そのとき餅を食べながら娘さんに私はいった。「今夜ね、あなたと同じ位いの娘さんを呼ぶことにしているの。可哀そうな娘で、お父さんを逝くしていくらも経たないのに、お母さんが五十そこそこで逝くなったのだが、娘さんと二つ違いの妹さんもけなげに働いている。まわりの叔父さん、叔母さんたちも取り込みのときは来たがあとは知らん顔。それが二人にはせつないと思って、この老夫婦が激励してやろうというわけ。どうだろうか」
△バイオリンの娘さんはキョトンとして私の顔を見ている。でもたしかに今夜来る娘さんと同じような齢でいて、違った生きようだなと私は思うのだった。