十一月

△すごく取り散らしたままで、どこになにがあるのかとあやぶまれるのに、本人はいたって平気で、勘がいいくらい手がそこへ行く。無雑作で物臭そうに見えて、それで心がおちついている。はたの者が見兼ねたつもりで、整理してやって機嫌を損じることになる。
△そこに置いてあるのを、こっちに置いても別にどうということはなくとも、位置を変えられてムカっ腹を立てる。帽子のかぶりかたが変で、こうした方がよいとすすめると、かえって気に入らぬらしい。ものの抱えかたにも癖があって、いたってご本人は得意がるのに、野暮な恰好で終っているのが殊勝である。
△少し年を取ったひとがそうかと思ったら、これは飛んだ思い違いであることを此頃知った。まだ三才くらいの孫もそうであることで実はひとつの認識を与えられた感がないでもない。
△テレビで見る仮面ライダーゲッターロボという視覚で、うろ覚えの素描が出来る。そこで紙がいるが、刷り余った紙にはこと欠かさぬので糊付けにしたメモ帳がそこらに転がっている。それをあてがっているうちに、その紙の色や大きさ、穴の明いているところまできちんと記憶に残している。何か書きたい衝動なるものをこんな小さな齢で焦がして来る途端、紙を所望するのである。その紙は適当なものであってもよい筈なのにきちんといつか見た紙でなければこと足りぬ始末。
△うるさがって別の新聞折込みのちらしを当てがうものなら、矢早やに手で鷲摑みにするや私に投げて無機嫌らしい悲鳴をあげるのである。そして紙の色、大きさ、穴の明いた位置が、自分のイメージと合うやいなや、すべらかに線画がつづけられてゆく。
△ボールペン、鉛筆は選ばないようでいて、このときは気分でさっと取ったところで筆が走る。無心で、寝そべって、何を言おうと知らん顔で怠らない。うまいとか、まずいとか、そんなことはわれ関せず、糊付けになっている紙をいいことに幾枚でも素描するのである。
△孫が持つ小さな世界があるということがうれしくなる。