十月

△そんなに早く寢るでもないのに朝早く目が覚めるときがある。えてして齢をとると、いくら遅くまで夜更かししても、目の覚める時間はきまっていて、延長したゞけ遅寝していい筈なのに、おかしなものだと思う。その癖、えらく頭痛するととぼけ顔にもならず、のこのこと居間に入ると、もう孫が学校へ行くべく食事をしている。
△見下ろして眺める位置にあるせいかも知れないが、小さい姿で食事をしている後つきはいとけなく、それがどうしてこんなにいじらしい動作になっているのだろうと思う。それが或る朝だけでなくて、いつもそうなのである。自分が孫を可愛がるせいなのか、ひとりぽつんと誰よりも早く食事をとっている様子は、いつ接してもそうした感じを私に伝えてくれる。
△もし自分がひとりだけボソボソとこうして食事を取っているさまを誰かが見たら、やはりそうなのか、聞きたいものである。案外いい爺さんの風態で見直したと思われるのか、それともくたびれた齢で恰好のみにくさが上向いてくるだけと判断されるのだろうか。
△家内に先立たれた私の父は晩年ひとりぽつんと愛用のガラスの燗瓶で、ゴトゴトと酒をあたためながら所在なく炬燵にあたっていた姿を思い出す。頑固一徹の父にして、このひとときはすべてを忘れ気に入らないものはあくまで拒絶したかたちで、孤独になっていた心境は、一体どんなだったろう。陶然となった酔いごこちのなかでこの時間だけみんなを許してやる妥協をつくっていたのではないか。いつもガミガミ言ってすまないがこれが性分でしかたがない、でもオメオメそれを言うまで近付くと威厳にかかわるからナ、そんな心根がこのときだけ湧いていたので黙って盃を傾けたのだろう。
△父を私はどう見たと言えば、さびしそうだな、心のぬくもりをさずけるお酒はなぐさめだな、うるさい父だが、ゆっくりやっている姿がいじらしかった。家族一同でガヤガヤするのがたのしみのわけだが、ひとりだけそうしているときに、そっとしておいて休戦をかけた空白があってもよかったのだろうと思う。父に与えられた人生の道草であった筈だ。