九月

△久し振りで中学校時代の同級会をやろうじゃないあないかという話があちこちから舞い込んで来た。私が印刷を経営しているので、その通知には都合がいいということやすぐいい返事をしてしまうから、ついいつの間にかこうしたときには宛名を書く役目が当然のように与えられている始末である。
△卒業ホヤホヤだと、進学組とそうでないものとが、何か違った感情で集まっている恰好だが、もう還暦を過ぎた齢の坂では、そんな隔った気持はなくて、よく生きていたなという親和感の方が先立つのである。
△東大の名誉教授や北大の名誉教授という肩書きの友達にも、大した気兼ねもないし、またこちらで考えるほど傑ぶっているとも思えないので、結構語り合えるのであった。
△一人ずつ起って、ひとこと述懷するお話が続けられたが、誰も悲憤慷慨の気負いもなく、淡々と少し酔いのなかで自分をさらけ出していた。何となく校歌が歌い出されても、一章だけは満足気にうたわれたが、あとはちりぢりでとても覚えているわけではなく、グンニャリと終ってしまうのだったがみんな齢だなとオクビにも出さずまた盃を交すのである。
△毎年九月の第一日曜日を期して逢うことが決定され、生き伸びたものたちだけが、また来年顔を合わすことになったけれど、医者稼業の友人たちは、元気でまた逢うぞと意気込んでいた。
△そんな別れ方をしたあと、一週間ほどしたら、小学校の同級生から料亭にいるので逢いたいという電話があり、東京に長くいることなので、またいい話題があるだろうと思って出掛けた。
△娘らしいのが並んでいて、たばこを吹かしている。そしてその友人の名を何々さんと呼んでむつまじいのである。東京で馴染んでいる女のひとで、こちらはアテられたと思ったが、そんなに気にしないで、盃を私も受けた。
△この齢でそうした甲斐性みたいなな異性とのつき合いの出来る友人の顔がそれほど美しくなくて、紆余曲折と聞いた友人の人生の味がこんなところでまごついているのが、実はほろにがかった。