八月

△伜は山好きで、学生の頃は遊学から帰ると早速山に登った。だからあちこちに山友達がある。八月に入ってから山形県の山仲間が左馬の角将棋を持って来てくれた。北穂へ登る道すがらである。
△天童といえば将棋の駒の製作で名がある。そこで作られた大型の縁起もの。人が馬を引くのに、左馬だから馬が人を引く。つまり客寄せの意味を持つ。とりあえず「百趣」に飾ることにした。
△うちの書架に、あかね書房の日本山岳全集、朋文堂の世界山岳全集が大きな顔をしてずらりと並んでいる。穂高が生んだ近代彫刻の荻原碌山作品を保存してある碌山美術館の、手前の駅の豊科町に住んでいる田淵行男さんの写真集「山の季節」「山の時刻」がある。
槍ヶ岳山荘の穂刈三寿雄さんの労作だった「播隆」が引き立つ。槍ヶ岳開山の始祖といわれる上人を調査研究した書。すぐ隣りに諏訪出身の新田次郎の「槍ヶ岳開山」の小説、小説といえば井上靖の「氷壁」は忘れられない。
△安川茂雄の「あるガイドの系譜」「山岳の夕映え」が若者の羨望をそそらせ、大島亮吉の「先從者」の風格もいい。小島烏水の「山の風流使者」が部厚く、深田久弥の「日本百名山」が誇らしげだ。
△藤本久三の「屋上登攀者」は昭和四年刊、これも愛すべき登山家だ。地元では山開きの頃行われる慎太郎祭りで知られる「山を想へば」の百瀬慎太郎さんが巾を利かしてくれる。山の版画でユニークな彫りを見せる畦地梅太郎だんがの「山の足音」がこじんまりと坐っている。版画と挿画が魅力的である。畦地さんとは、昭和二十二、三年頃、松本で版画展があったときお会いした。畦地さんは若いとき、家へ帰る金がなくて松本から暫らくテクテク歩き、持っていた路銀に合わせてそこから汽車に乗ったよと述懐された。須坂の小林朝治さんの話をしたら膝を乗り出し、作品はぜひ大切にしておいて下さいと強く言った。
岩波書店の大正五年初版「日本アルプス登山案内」は袖珍本といった小型ものだが、私の持っているのは大正十四年十四版である。松本ゆかりの矢沢米三郎、河野齢三共著で大切にしている。