五月

△五月の空に鯉幟が泳いでいる。蒼い空の色に融け込むように、みずからをまかせておおらかだ。伜夫婦は初め奥の空き地に立てたがだんだん上の方に持ちあげて、とうとう非常階段の一番上の手すりにくくりつけた。
△たしかにここなら広々と、あたりが開放的で自由に泳ぐことが出来るようだ。南隣は銀行で、せせこましくぎっちりと建ててないので割合に路地がひろく、そのうえ奥の方は駐車場だから、何となく明るい。
△大きいのはお父さん、その次はお母さん、小さいのはあたしたちと孫たちは言っている。小学校一年生となった女の子は、お雛祭のときもそうだったが、自分が主役のようなつもりではしゃぐのである。毎朝、鯉たちと一々紐につけて、するすると上の方にあげる。夕方、忘れないでおろしてやる。雨に濡らすと大変だと、こうしたときはまことに神経質である。
△遠くにちょっぴり槍ヶ岳を望み富士山に似た常念岳、こっちにまだ雪のある乗鞍岳、遥かに南にも山々が横たわる。東に王ケ鼻、あのあたりが美ケ原高原だなと、鯉たちはつぶやきながら毎日悠々と泳ぐ。
△小さい方の孫は男の子で、満三才、姉さんと一緒になって、上を見上げながら「オーイ、オーイ」と鯉幟を呼んでいる。退屈すると印刷所の事務所に来て、メモの紙に一生懸命に画を書く。テレビ動画で見るいろんな怪獣だったり、英雄だったりする。そのつもりだろうが、大人には判断に苦しむ構図だ。なかには面白いのも出来てつい賞めてやる。
△右の手で書いているのに御飯の時には、どうも左の手である。自由にさせておいたせいか、左手が使いやすいらしい。注意するとむずかる。もう少したつと直るだろうとあまり叱らないでいる。
△転んで膝小僧を傷つけて泣きたいのを我慢しながら、私にむしゃぶりつく。そしてしきりに胸元に手を入れたがる。痛いのを何とか耐えようと、お母さんのオッパイにすがるあの気持で、私の乳をさがす。くすぐったい。それでいつしか痛みを忘れてゆくのなら、まかせようとこっちが我慢する。