四月

△奥は印刷所の事務所にして、空地を隔てた工場と連携してゆけば都合がいいが、表から廊下を通ってわざわざ顧客に事務所まで入っていただくことはちょっと迷惑がかかる。どうしたものだろうと家族たちと話し合った。
△そうかといって表に面したところに印刷所の事務所に置くのも、もったいないような気がする。いっそ表の方は人に貸すことにし、二階全部、三階一部も一緒に貸事務所にする計画を樹てた。
△善は急げとテナントを見つけることにし、三階一部は何とかうまく行ったが、二階は四十坪なので不況事情も伴い、なかなか希望者がない。あせるな、あわてるなと心に聞かせて、平気がるところは泰然自若の態だが、ほんとうはソワソワしているわけである。
△表に面したところを人に貸せることを、だんだん避けるような気持ちになり始め、いっそ自分で経営する業種を見つけようやということになった。何がいいだろう。あれやこれやと考える夜の語らいが続いた。
松本城通りだから観光客を相手の商売がいいではないか、さて仕入れはどうする、こうするということになり、さし向き丸山太郎さんのベテランに情を明かして頼んで見たり、川柳仲間の土屋純二郎さんの上田市をあたっていただいたり、金井有為郎さんにも中野方面について知識を求めた。
△単なる土産品を扱うだけでなく何とか地元の人を誘いかけるような品物を置きたい、何を並べ、何を調べようか、そんな夢を話し合う夜が続いて行った。そうした夢を話し合う倖せを大事にしようではないかとお互い心にきざみつけた。
△東京へ飛び、栃木県に駆け、岐阜県へ走った。そして伊賀にも、東北にも、静岡にも気安く、日曜日を利用して物色する決意をかためた。店の名を「百趣」ときめて三月十七日に開店した。品物を飾った奥に、休憩室みたいなくつろぎの部屋を設け、旅の人にまた、地元の人に対話の場を提供した。さし向き洋画や水墨画の個展に利用した。ここを「道草」と名付け商店としての憩い、また人生の憩いとも自分に聞かせている。