四月

◆そんなことをさて引き受けてよいのか、ほんとうにうまくやってくれるのかと思った。名指しで、きっとやり遂げますよと励ましの言葉を添えて頼んで来たという。
◆幼稚園を卒えて小学校へあがるお別れの式で、うちの孫が在園生を代表して送辞を述べるというのである。どんな子でも喋るということに関心があって、殊更におしゃべりとは思わないが、うちのこの女の子は見よう見真似で電話を掛けることが好きである。幼稚園に行っても、誰よりさきに発言をする積極性があるのか、それは知らないが、うちにいるとき、事務所などで掛かって来た途端、矢庭に受話器をとって(いしぞねでございます)といって先方の度胆を抜くことになる。用件は大抵、仕事のことであるから要領がわからずしばらくして(ちょっとおまちください)そういって私に受話機を渡す。
◆(いしぞねでございます)(ちょっとおまちください)というのが可愛く、おっちょこちょいである。親類の電話番号を覚えてしまって、おばあちゃんにたしかめるように、そらんじた数字を得意気に早口で教える。
◆先生に見込まれたからには、こちらでもこれに応えなければなるまいと、家族一同がこれに協力することになり、テープレコーダーを近所から借りて来て送辞を吹き込み、それを再生してみんなで聴きそこはこうだ、あそこはそれではいけないという風に意見を出し合う。それを聞くのは孫だが、大人のお節介をフフンと笑っているようでもある。
◆いやになると(こまっちゃうわ)を手振り足振りで唄い出し、それが録音に入り、夜のまどいの様子を手っ取り早く演出され、あげくの果てはおじいちゃんやおとうさんのほろ酔いのムダゴトが、さらりっと加入され、孫の送辞の受け入れ準備をよそに、こうした副産物にこよない愛着を覚えてゆくのであった。そうした時間をいつも持っている筈なのに、その再生が披露されることで、顔を見合わせてたのしんだ。いざ当日はこともなげにやり遂げてけろりっとして戻り、(いかりやにおこられた)などと道化けて見せるのである。