三月

ダンボールに包んだ川柳雑誌をトラックに積み込み、選ばれるべくわが家から離れてゆくとき私は感慨深げに見送っていた。何か心から頭を下げて惜別の気持と共に感謝のおももちもあったのだ。
◆都市計画で道路を拡張するという要請があり、数年前から種々打合わせを重ねていたが、期が熟して町ぐるみ、それぞれ改築することに踏み切り、あちこちで直し始めると、風になびくようにみんなこぞって動きだした。
◆空襲ということはなかったが、終戦一ヶ月前、不運にも強制疎開に逢着し、移住の経験はあるにはある。あの頃は厚い壁の土蔵は取壊しの必要なしということで、そのままにして疎開したけれど、土蔵は道に面しているところからやや奥まった場所、前の方を改築するうえでこの期を逸したら永久に直せないことを知り、鉄骨の工場の一部だけは残し、思い切ってもろに全部をこわすことにきめた。
◆まず土蔵の収蔵品をどうするかということにひっかかった。三階建の一階と二階は、鉄骨の二階建の工場を新築するとき、連結のうえ拡張する方法をとったのだ。この際、窮屈だが鉄骨の工場へすべて移し終え、三階にある父の収蔵品の処置を考えなければならなかった。
◆父はわりに骨董趣味があり、晩年ややぼけ商才に長けた商売人に欺されて大方を売ってしまった。でも若干残ったものは然るべき場所に移し、古い家財道具で役にも立たなくなった長持などは土蔵破壊と同時に処分するつもりで放置し、私が集めた川柳雑誌は昭和五年頃からのもの、今日まで相当数になった。改築後、再び収蔵するかということだったが、私の思惑で図書館に寄贈することにした。
◆果して川柳雑誌を受け入れてくれるか、短歌、俳句と違った分類の川柳資料ではと懸念したが、快く市立松本図書館に行くことに話がまとまった。あれこれと選択して、どうしても手放したくないものを惜しんでいても始まらぬので殆んど全部うつしたのである。
◆長い間、私のために尽してくれた雑誌よ、ほんとうにさようなら感謝とはそういう意味でもある。でもたまたま逢いにゆきたい。