一月

◎たしかに手を洗ったとき、時計をどこかに置いたことは記憶にあるが、さてさがしてもないとその記憶もあやしくなる。伜がそんなことで集中する精神度がにぶって仕事に手がつかないとわかると、家族のものは夕飯がすんでから、その場所らしいところをあれこれとさがしてみる。
◎懐中電灯がこうした場合にかぎって蓄電が劣えていて思うように隙間をよく照らしてくれない。である。なんだ、こんなところにあったのかと、みつけないでよいものをさがしだして、ホッとしてみても、肝腎な時計が見付からなくては仕方がない。
◎伜が自分であちこちさがしているのを見かねて、みんなして心配するのに、神様は機嫌がわるいのか、なかなかどうしておいそれと腰をもたげてくれないのである。実にニクイ。
◎電話がかかって来た。いま納めた印刷物のことである。うちのセールスが声高にいうのだ。校正と違って印刷した、直したものを電話で呼んでくれ。あわてて校正刷を持って来させ、読み合わせるとどうもこちらの負けである。お得意様に念を押されて直すべきところだったのに、うっかりして一字違えて直してしまった。結局、再校正を見たうちのものの手落ちなので、どうにもならずヘコタレテ首をうなだれてしまう。
◎こんなときすごく自信を失う。長い間、ベテランのつもりでいても、校正はオッカナイなとしみじみ思う。「校正の神様」というひとの語るところを聞いたことがあるが、実に恐ろしいという言葉に尽きていた。何と弁解しても間違ったものはとりかえすことが出来ないので、こんなとき、やっぱりしまったと、いつまでも心に残るものである。
◎伜の時計はまだ出て来ない。校正刷が間違って叱られた始末のわるさと一緒にかさなって、いちにち憂鬱なときがある。くよくよしたってどうにもならないのに、何と自分でもあわれだ。こんなことをくりかえしながら知らず知らずに時を流してゆくものと見える。思うようにならないで、思うようになった日のことがだんだん遠去かるのかな。