十二月

○間違いもなく山崎茂登美先生が打合わせた時刻で松本駅に降りて来た。同級生の小山君が同道してくれた。小学校六年生の恩師である。私たちは長い間逢わなかった久濶を叙した。小学校卒業以来、何とまあ久しい顔合わせだろうと思った。大正十一年三月卒業だからもう五十数年振りである。
○先生は所沢にいるから遠路松本に来て貰い、みんなで同級会をやろうやというきっかけをつくったのは日大の内山教授である。或いはどうかな、ほんとうに着て貰えるのかな。とても行けそうもないという初めのためらいを、もう一度思い直してくれるよう交渉して松本に来ることにきめてくれたのは内山君のお蔭なのに、いざその日が近い或る日、神奈川県大磯から電話があって、大学で倒れたためいま安静中だから折角のところ一切まかせるからよろしくたのむという伝言。発案のご本人がこうなった以上、地元の松本のものがしっかりせねばならぬと気を取り直した。
○先生を迎えて、先ずどこから案内しようかとたずねたら、長く来なかったからゆかりの地を辿りながら、小学校の跡を歩きたいとおっしゃった。それではとみんなでゆっくりゆっくり歩くことにし、先生がなつかしそうに見る街並や風物に同調しながら相槌を打っては、今更にわが幼き日をよみがえらすことだった。
○会場はやはり同級生の割烹の店だった。遠くは鹿児島から高崎もあり名古屋もあり東京もあり、みんなこうして大勢が先生を囲んで逢えるなつかしさが胸にひろがり涙ぐんだ。六十を越して悠々自適といった人が殆どなく、大よそは何か仕事をしていて、思わぬ挫折がたたって足踏みをしている人もあった。
○人生遍歴を語るといういかめしいスピーチがぐるぐる廻ってひとりびとり誰もがやった。さして大人ぶるでもなく、うつし世に洗われている老いの膚を見せつけるのだった。短い時間だった。浅酌低唱のうちにおのれのいのちをたしかめ合うひとときが、こんなにも大事なものなのかと知って心で泣いた。別れの言葉にたじろぎながら、刻のきざみを惜しんだ。