十一月

◇十月二十九日、須坂小唄で知られた須坂駅で降りて、さて塩野公民館へはどのバスに乗るのだろうと見廻した。オヤ深沢英俊君がいるな、これだなと思った。そんなに乗客はないままに走り出した。
◇須坂の街並を通りぬけて、山のなかに入ってゆくバスが喘いでいるみたいに坂を登っては、ときどき停まりひとりふたりと乗客を拾ってゆくのだった。目的の塩野公民館はと運転手に訊いてもはっきり返事がないままに、この辺だというのでヒヨッコリ降りた。そこが塩野公民館だった。
◇私たちは一番早かった。岩魚川柳二十周年記念句会がこの会場だった。着到簿に書くと、大事そうに一鉢の松をビニールであとで持って行けるように提げるにいい恰好で、参加賞だといって下さったので、席についてからしげしげ眺めた。姫小松だという。
◇宿題はこしらえてあったので、席題はと見ると「日本列島」「あれこれ」だった。もう席題選者が書き込まれ「日本列島」が私だった。いま流行の立役者が私に課せられた選でいやにかしこまった。おもてなしにお茶が出るのが通例だが、あたたかい牛乳が配られ、これは岩魚川柳会の人たちが飼っているあんしぼりたての牛乳で、お代りする人も出て嬉しかった。
◇漬物はみんな奥さんたちがこの日に当てて漬けて下さった心のこもったものばかりで、白菜の歯切れのいい音があちこちで聞え、朝鮮漬も舌のなかで快く辛かった。
◇宿題、席題の〆切が終り、ほっとすると正午、そこで炊きたての新米のあたたかい白い湯気が私たちの眉毛を濡らし、オッカサンを思い出す手づくりの味噌汁の香もただようのだった。囲炉裏に同人のオカミサンたちが勢揃い手ぐすねひいておさおさ怠りなかった。
◇閉会の辞が始まり、参加賞に貰った姫小松の話が出た。この日を期して数年前から老松に実のつくのを三年生五十鉢栽培して今日まで育てて下すったという。山家とはいえ何という暖い贈物だろうと思った。家族的な雰囲気のなかで大会は明るく、そしていとしい時間を私たちの胸に流してゆくのだった。目に見えぬおみやげの外に、この姫小松はいまも小さい鉢で青々と育っていてくれる。