八月

○だんだん自分の齢を忘れたいと思ったりしているうちに、少しはしんみりした気持になってさてと振り返ってみるものである。若い人が「ああいやだ、そんなにならないで欲しい、悟り切ったような句ばかりで、きざだなあ、あの人もとうとう落ちるところ落ちてしまった」と酷評しているのを見たとき、まだ私も若かったが決してその意見に無闇に同調するわけにはいかなかった。ということは齢をとるとえてして悟った風になるものだろうと思ったから。
○悟ったという言葉、その道に悟入したという大袈裟なものではなくて、年輪のなかに少しは言いたいことを句のなかに少しは入れることを、たまたま若いものには悟ったと見え、それが嫌味を覚えさせることになりやすいのか。あるところに行き着くと、ホッとして伸びをし、ふともらす欠伸の退屈さがいやに甘く、いやに苦くも感じるものなのである。
○聞きかじった理屈やなまもの知りの智恵がわれながらおかしくても、やっぱり経て来た功だと考えて、自分もこうなったと判断するが、うらを返せば至極平凡に、また間が抜けてシマリがない癖に、したり顔をさらけだし、そして知った振りの恰好をして見せるのである。
○雲は流れるようにできていて、いや、暫らく動かないときもあったりでそれを眺め、変哲もなく黙ってしみったれたおのれの人生にダブらせてしんみりしたりする。戦争はいやだということを知っていても、さて旗を高々と揚げた市民運動に出る活気をいまさらによみがえらすこともせず、オッチラエッチラこちらで迷い、あちらでまごつくしくじりをこの齢でくりかえすのである。
○見事に一本参った、たしかにそうなのにオクビにも出さず、それにクヨクヨし、何故おれは負けたのだろうと、いつまでも根に持ってそれを寝る枕と一しょにゴロゴロさせてあやす。枕だってそんなたわいない奴にかまっていられない筈なのに、このよごれた枕、性懲りなくつきあってやっている。昔語りを心地よげに聞き、これですべてがお仕舞とも思わず、なお夢を見たいと目をつぶるのだ。