六月

△左程高くないコンクリートの壁が隣との境となっていて、南面の太陽は四季を通じ万遍なくゆきわたる。見上げるような壁でないから、日照権なんていうしかつめらしい要求は考えたこともなく、至極カラリッとして誠に開放的だ。青空が見え、たまに飛んでゆく飛行機が高いところで挨拶をしてくれる。
△その壁にへばりつくようにした細長い庭がある。庭というほどでなく空地に植物が育っていると思えばい。でもみんな仲よく息付いて、緑の色がまばゆい。
△春の芽生えがよい。桜ではなく、こてまりが白い花を咲かせ、その花瓣は小さいけれど可憐で美しい。割に長く花を置いて、春が来たなを思わせる。散るときは大抵雨が降ったときで、同じように地に降ってゆくのである。雨と一しょに白い濡れたさびしさを見せ、季節のよごれの、どうしようもない果てを、こころよく受け入れる。散るという意味をそれほど硬くならないで見られる齢になったと思う。
△鉢植の柏の盆栽がある。一本すらりっと高い。私のからだの如く、細いいでたちだ。冬をじっと耐えていた細いからだが、春の陽射しを享けて、ヤワヤワと伸びをするようだ。一枚小さな葉が出る。これがとても可愛い。一日一日だんだん大きくなる。卵からかえったヒヨコがピヨピヨと鳴くのを聞くようだ。そしていくつも出、これでいっぱいと言わんばかりに、細いからだで青々とした歯を見せびらかす。一枚が出てくるとき、ちょっと赤味を帯びている。まるで生きた肌で、なまあたたかさを覚える。
△今年は朝顔の種を貰って、赤、紫と色を咲かせ、この小さな庭に華やぎを添えたいと思って丹念につくろってやった。そんなに手をかけたわけではないけれど、いくつかの鉢から、朝の目覚めをたのしませてくれた。つぼみからふっと開くさまがうれしい。
△気がつかないうちに、何となくいつのまにか咲いて、こっそり人のいないのを見計らっているのかとも思った。孫がノコノコ出て来て色の美しさに見とれ、生れた花を手に触れたがり、触れたと感じたときはスポリと落ちてしまう。しまったと考えないで、またノコノコと次の鉢に足取りを向けるのである。