五月

△素晴らしく足の早い男が誰かを追っかけてゆく。「どうした」と聞くと「いま盗人を追っている」「どこに」「あとから駆けてくる」と答えたはなしがある。宮川曼魚編の「江戸小咄」を若い頃古本で手に入れて読んでゆくうち、忘れられなかったはなしのひとつとして覚えている。
△間の抜けたおかしさというものが出ている。実際でなくて、実際でないところをおかしがらせるのであるけれど、はなしのニュアンスが顔を出してニヤリとさせられる。つまらないと感ずる人もあろう。何だバカバカしいとせせら笑う人もあるだろう。それでいいと思う。
△競技は早い者が一着ときまっている。少しヘソ曲り、一番遅いのを一着にしよう。そんな風に考えて、自転車に乗らせ、なるべくゆっくりペダルを踏んで、早く目的地に着かないように工夫する。参加した連中はみんな曲乗りのつもりで競い合う。少しでも立ちどまり、時間をかけて見る。相手もいるからおかしな恰好で、何とか後になろうとするのである。ついうかうかして地に足をつけてしまえば失格。ヤキモキさせて、なるべく意地わるく、コスク振舞うほど効果があるわけで、競争意識濃厚、遅すぎたものが一着。
△うちの孫はまだヨチヨチ歩きであって、うしろ姿はたしかにアヒル。そのアヒルが身体の割にしては早い。交通のはげしい道路に出たいのを、やっと食いとめて内に入れる。またヨチヨチ歩いてゆく。そんなことを何度もくり返す。
△外に出るところが少し坂になっている。ヨチヨチ歩きには余程の坂と見えズーと歩いて、くるりっとうしろ向き、四つ這いにこっちを向いて坂を下りるつもりの恰好。すぐ坂のところに足をつけて、よっぽど間のある距離から後向きになる様子は見もので、それを見ているだけでも結構面白い。本人は用意周到。大事を図っている体、まことに可愛い。
△当世はやりの絵模様のTシャツを着ている。それが何とSPEED MANと麗々しく胸に画かれ、飛行機と自動車がいまにも飛び出さんばかりだ。このシャツでノコノコと歩き出すところを見ると、SPEEDでなくて、全くSLOWである。いっぱしの、誠にちさい若者気質をムキ出したつもりでいるのがおかしい。世の裏表の機微にここで気付く。