二月

△そんなに早く起きるわけではない。自分ひとりがまだ夜の明けきらぬうすぼんやりした薄暗い街中を、のこのこ歩いて見せるつもりはない。すっかり明るくなって、新聞を配るひと、牛乳を配るひとなど、もうあらかた仕事が済んだ頃の時刻だから、自慢して早起きなどとひらきなおる気持は持ち合わさないのである。
△家族よりほんのちょっと早く床を抜け出して音のしないように歯を磨き、顔を洗ってさっぱりし、シャッターもこれも静かに上げて外に出る。もう朝の散歩のひとが通ってゆく。会釈するくらいの馴染み甲斐が嬉しい。
△からりと晴れて日本アルプスがこんなにくっきり眺められるのは楽しい。常念岳のすぐ横に、尾根を隔てた槍ヶ岳が尖んがってお早ようをしている。姿というものは人間とのみきめないで、山にもすがたのあることを目でたしかめるにはいい出会いである。
△うちで飼っていた頃の犬の扱い方が、いまでは少し違っているように思われ、放し飼いは前とおなじに先ず見受けられないし、犬の散歩は人間の散歩と不随になっていて、鎖でつながれている。ここまでは誰でも考えつくところだが、現代の愛犬家は右の手に鎖を左の手にハトロン紙の袋を持っていることがエチケットであるようだ。
△物欲しそうな恰好だが、落ちている紙幣束をすかさず入れる袋としての用を足しているわけではなくて、落ちてくるものを拾って入れる袋なのである。袋は入れるためにあるものだが、この場合、現実的にナマナマしさが伴う。
△尿意を催したら矢早に片足をあげて道しるべのあかしを立ててゆく習性は、犬の持って生まれた性分だが、便意となると厄介なことになる。ご主人はそこで少し鎖の張りをゆるめ、おちつかせてしばし時間を愛犬に許してやる。
△こと済めばなまアタタカキ産物がトグロを巻いたりして目に迫るが、そこで袋の効用が働くこととなり、持参の小さなシャベルですくいあげ、ポイと仕末するのである。公害を事前に処理して、いささかも抗議の余地を与えぬ気概は愛犬家だけのものだ。