一月

▽新しい時代に対応する心がまえというものが、自分でも認識し、また他からの刺戟によってきめつけられるようになって来ている。とても古くさい想念では追いつけないと思うこともあるし、そんなに先走らなくとも、少しはおちついた方がよくはないか、そう考えさせられることもあって、激しい動きを見守っている。
▽新聞は報道の使命だけでなく、それぞれ社是はあるのだから、主張すべきところは大いに主張しなければならない。そこを少し逸脱して、押しつけがましい判断をすぐに下す傾向が此頃はあるように思う。いろいろの意見を国民の声から吸い取って、それを公平に報道し、どちらともなく誌面に公開することで、広く判断は国民にゆだねるという方向がむかしはあった風に思われるのだが、どうだろうか。
▽国民の声というものも、その新聞の社是に合わぬものは採り上げないで、敬遠するワクにはめて行くようになればお仕舞いだ。署名入りの執筆者は、そのカラーにマッチするように仕向けられ、それで悦に入っていたでは、一方的になるのではないだろうか。
▽新聞はひとつでなく、少しは違った風なのも選んでゆかなければならないのかも知れない。兎角、スキヤンダル記事で賑わす週刊誌に、新聞には絶対に載らなかった素っ破抜きの特ダネが出ることで私たちをハッとさせたりする。なんだ、天下の公器がこんな大きい問題を隠していたのか、頬冠りしていたのかと驚くのである。週刊誌は新聞の独走を歯止めする別の意味の批判の役目を受け持つ。
▽気に喰わぬグループへの激しい攻撃はするが、気に入ったグループの恥部はカバーしてやるというようになったらどうなるのか。好きな人と、虫の好かぬ人との截別をはっきりさせることによって、この住める国の行方の先取りに立ち向うということも、何か勇み足のようでいらいらする。
▽あざやかな鉢巻で、プラカードを押し立て、マイクでがなり合うことの出来ない私たちは、ほんとうに公平にまじりけのない多くの声を伝えて貰って、わが身のものとして生きの糧としたいのだが。