十二月

▽毎朝定刻になると上の孫は保育園に出掛ける。近所のお友達と連れ立って、交替のお母さんやおばあさんの介添えがついてゆく。その日は真ン中に入り、両方の手がお友達一人ずつの手に結び合い、翌日はまた別なお友達が真ン中になる。三人である。どれも女の子で制服を着、寒いときは紺、暖くなると青色の上着、チョコンと頭デッカのうえに制帽が可愛い。
▽皆勤というわけにはゆかない。たまに風邪を引いたり、お腹を痛めたりして一人缺けると、二人だけがさびしそうに手をつないでゆく。そこで一人のお母さんがいいわけをし、みんな励ましながら送る風景となる。
▽行く道はきまっている。大抵、お城のそばを通る。幅があって、日本アルプスの四季のうつり変りを遠くに眺めながら、松本城の威容と相俟っている。堀にはいくつかのスワンが心地よげに泳ぎ、目を楽しませてくれる。「スワンチャンお早よう」大きな声を挙げて挨拶をし、スワンもこれに応えるように首をかしげるのである。
▽また定刻になると保育園までお母さんやおばあさんが交替で迎えにゆき、一人ずつお家に連れて来て貰える。やっぱりお堀のわきを通る。「スワンチャンさよなら」また大きく呼んで、手を振る。小さな手だが、誰よりか板についていて愛嬌があるので、スワンも餌をあさっていた首をもたげてこちらに会釈してくれるのである。
▽「スワンチャンさようなら」という声が長く尾を引いたように流れ、無邪気でそういっているが、私には何だか胸にひびいて聞こえてくる時がある。「さようなら」は何とさびしい余韻を持っていることだろう。スワンチャンと別れる園児の言葉はカラリッとしているのに、「さようなら」がどうもいけない。
▽手を振って、チョコチョコと動かし、それが意味ありげでないだけに、なにか心を通わすものがあるのに、大人は大人でふっと意味ありげにこれを捉えようとする。すごく乾いた風景のなかで、湿っぽく私はもうひとつの心象を映し出すことになる。はしたないことだと思いながら、いつほんとうのさよならが言えるかと問うのだ。