十一月

▽愛用のペンで、とても素晴らしい発想が生まれて来るなんて考えたことはない。土台、大した頭でないから、その場しのぎの思惑が図に乗ったかたちとなって、そこで思いを述べることになる。
▽置かれた石があって、その石がとてもカッコよいので、さわって見たり、ゆすって見たり、果てはなめて見たりする。石はくすぐったく、面映ゆい仕草でとりつくろうが、さて動こうとはしない。いや動くことが出来ないから、威儀を正したようにして黙っている。その石は意識がないまでも、生きているみたいに何かを求める。
▽そんな風に材料が置かれ、置かれたところでこちらを向くので、ついペンを走らせて見る。いろいろな条件がさそいこもうと、ジリジリした足踏みをすることもあるが、気乗りせぬと尻込みをしてどうにもならない。
▽孫が芋虫のように腕を前に屈折しながら這うのを見て、自分も初めはこうだったろうと興味深げにかんがえる。抱かれたままでいたのが何時の間にか自分で、自分のからだを自由にすることを覚えてゆく。キョトンと首をあげて、知った顔に逢う、それを合図にしてニッコリする。這い得たことの満足気なしたり顔が、大きな顔にバッタリ見られたことで、なおさら嬉しい感情が湧くのだろうか。
▽這いながら、そこに落ちたものをすぐ拾う。拾うと、それを口のなかに入れる。変なものが口に入ったぞ、これはおかしいぞ、そんな風にビール瓶の丸っこいセンを頬張って、それから吐き出す。えらいものを口にしたと、大げさに思って、おそまきながらそのセンをとりあげてしまう。
▽思うようにならなくて、いやになる一日がやっと終ったと思い、こんなときは早く寝てしまうのがよいと寝床のなかで長々とからだを横たえる。なぜこんな逃避をしてタカをくくらねばならないのかと、わが身をふりかえると、ノコノコと書かされたくなって石がふと動くのである。石がだんだんやわらかくなって、掘ってやると感触に堪えられるように、みずからを近付かせてくる。石が私の人生のサイコロ見たいに振られ、恵まれぬ目を据えて人なつこい。