七月

▽川の字なりに寝るナンテ古い川柳にあったような気がする。右と左が夫婦で、真ン中が生まれた子なのだろう。とんでもない、子は右か左で、並んだのが夫婦なんだからわるく思わないでネ、どこまでも仲がイインダからネ。念を押すように、そんな風にきめこむ手合いもあるのかも知れない。
▽二人目の内孫が五月十二日に生まれた。男の子である。初めのが女の子だったから、私と伜とこの男の子がうまくゆけば三代ということになる。うまくゆけばなどと変に思わせぶりな恰好で、ひねくった考えを出すところなど、どうも年寄りの気苦労のせいなのだろうか。
▽私が向うで、家内がまた向うで真ン中に意地悪く、一番目の孫が割り込んで寝ることがつづいている。来いよとも言わないのに、サビシイデショ、アタイ、オジイチャンとオバアチャンと三人で仲よくしましょ。そういって毎晩寝ることになった。こういうのも川の字なりに寝る図形に違いない。
▽初め私が一緒に寝るときは昔噺をせがまれる。こうなると私は大いにハッスルする。昔噺はお得意だ。五大噺のひとつずつが五晩つづいたあと、創作のはなしが出て来る。上手に話しているつもりだから、孫も調子よくうなずいているので、こっちも有頂天になっていって、ついうわづいたりしてはしたない恰好に気がついたりするのである。
▽でも孫も心得たもので、それからそれからとあとをせかすように私のはなしをうながすのだ。いよいよ図に乗ってはなしだして、少し息を継ぐように、孫の顔をうかがうと、なんのことはない、もうすやすやと眠っているのである。さすがに話術に富んでいるのだ、天来の話しぶりのよさか、そんな風にひとり酔って来て、ついうかうかと自分も眠ってしまう。
▽そこへ行くと家内は寝せ方が違う。あんまり口かずをしないで、ヤンワリ孫の腰のあたりをたたきながら、子守唄をうたいたがるのである。孫はまことに無邪気で、それ相応にこたえるようにして、くらやみの憩いの時間を求めつつ静かな安息の域にさそわれてゆくのだ。どっちみち孫の勝だ。