五月

▽交通が激しく、人間が追いやられた恰好だからほんとうにみじめである。齢をとると足の方が弱くなるから、さし向き自転車に乗ったり、歩いたりして少しでも足をかばってやらねばならない。みんなまだ寝ていて、睡眠の時間を見はからい、少し早く自分だけ目覚め自転車を乗り散歩したりする。
▽自転車に乗ることは足を動かしからだ全体に刺戟を与えるから、あれで案外健康保持にききめがあるという。そういえば中年の人で自転車に乗っているのに会う。毎朝そんな顔と馴染みになると、まるで知らないままに行き逢うのも何だか他人行儀みたいな気持ちになったりして軽く会釈してやる。先方もそんなことを考えているらしく、やっぱり応えてくれるのである。決して突然の出会いとは思わないのだろう。とてもタイミングがよく、わざとらしくはないのだ。
▽朝の散歩のコースは気ままではない。大抵きまっている。今朝は何分かかった、明日は何分にしようと規制するつもりはないが、きまったコースの方につい足が向くのである。どういうことだろうとふと思う。やがて始まる今日の出発の前も、やっぱりきまりよく動く方が、今日の為にプラスになると、心のどこかでささやいているからかも知れない。
▽そのコースに松本城の堀近辺がある。城を見ながら同じ調子で歩いてゆく。するとベンチのところで屯する一団が目につく。ガヤガヤみんな大声だ。やはり時間がきまっているらしく、そこに集ってくるのだ。そしていずれも足を引きずり、ステッキを持つのが不自由である。それぞれの人生の角で、思わぬ障害に逢着した人たちだ。城にまつわるように飛んでいる鳩が白く、あくまで白くあざやかな風景をとらえて、「どうだ、今朝は何匹いると思う」と、問いかける人がある。それに答える人の声を聞けないままに、私は通り過ぎてゆく。
▽自分もいつかこんなになる日があるのかも知れない。同病相憐むという言葉があるが、毎朝早く目覚めて、そうした人たちのよしみがジーンと胸にくる。病いと老いのからむ静かな無常である。