四月

▽電話の応待は私にしてある。事務所というわけだが、電電公社から呉れる電話のエチケット集に添わない無骨さがあることは争えないが、それがまたいい面として受け入れてくれる人もある。どんなところかというと、ツベコベお愛嬌を振りまかないで、ざっくばらんがいいらしい。
▽どうも無愛想だから、電話の受付に伝えてほしいと言われたといって、セールスがしおしおと私に向うのである。そうだな、そういうとこも充分あるな、少しなおさなければと、そのときは考える。そしてまたゾロ、持って生まれた性分が頭を持ち上げてくる。しがない社長兼受付係である。
▽法人にすれば税金の方で何とかいい筋道がとれるのだからという世間体に応じて法人に変ったさしむき社長には相違ないが、風采があがらず、無精髭で、しょぼしょぼしているのを見たら、これが社長かとうたがいたくなるもうなずける。
▽社長さんいますか。そう私に向って見知らぬ人が来ると、これは何か寄附だなとすぐ感付いたらすかさず、おりませんがと答える。そうでしょう、そうでしょう、あなたは社長に見えませんねと、先方でも思っているらしいおももちで、ぴょこんと頭を下げて後刻にと、もう来ないような顔をして辞去するのである。こういうのに限ってほんとに来ない。或いは体裁のよいことわりかたをしたなと向うでは思ってのうえかも知れぬ。
▽こんな事務所でもたのしめるものはある。明るい絵を添えて
  稽古から昼の座敷へ
     たちのまま   鞍馬
 芸妓が踊っている。心ある者は説明を求める。うれしくなって、句の味、絵の色、字体、素人っぽさ、俗っぽさ、そんなものを話してあげる。注文の原稿がどこかへまぎれこんだのをあとであわてる始末。それを見て、いいね、そこだよ、人生というものはね、相手もなかなか心得ている。そういう人に会うと川柳をやったお蔭だなんて、川柳に限った考えがしみったれたものになる。胸をひろげて生きてゆくことだな、広々とした境地だな、生きの緒をゆるめぬことだな。