三月

▽自分の齢ぐらいのとき、父はどんなことを考え、どんな仕事をしていたかと、どうも此頃気になって仕方がない。八十余歳をながらえた父だったが、いまの齢からいえばこのうえ二十年頑張らなければならない。進取に富んだ積極性がときどき私の脳裏にちらつくほど、父は前向きだった。
▽時代がすごく変革されて、父のあの頃とは何もかもちぐはぐな、いいかえればひどく乾いた様相を目のあたりにするばかりだが、それとそれとしてこの齢にいてまた処すべきものは持っているべきであった。私にはほんとうにあるのだろうか。
▽一日中暇なく稼ぐということは自分だけの負い目ではない。きびしい時の牙に向って、誰でも立ち向っている。立ち向ってくじけまい、弱気を出すまいとする。何とか生き残ろう、兎に角追いやられてはお仕舞だ。人を押しのけておのれだけ出しやばるという大それた考えはない。あるがままに生き残りたいような気持である。
▽憂さを晴らしにたまには飲みに出掛けそうなのに、どうもひとづきあいが下手で、わざわざ外に出てまで酔う気にはなれない。同じ飲み仲間が思い思いの胸のしこりを持ち、そんなありふれた境遇の肩を並べ、一杯の酒をたしなむ時間はありたいようなものの、私には少し億劫である。
▽うちでいささか晩酌をなめつつ孫との会話をとりかわすことで、何となく一日の疲れをいやすのが嬉しい。三歳ともなればいつしか覚えたての言葉がひょいひょいと飛び出して、素頓狂に大人の私たちを驚かせるのである。
▽ほかの者と孫との話に首を突っ込んで「何を話しているの」というと「オジイチャンニハカンケイナイ」と澄ましている。そしてこう言う。「コッチノハナシ」
▽いつだったか、まだおしめをあてがわれていたとき、ひょいとのぞきこんだら矢庭にこう叫ばれてしまった。「ソンナニジロジロミナイデ」
▽家族と言い合いをして、とりとめのないやりとりをするうち、私の声が大きいと「オジイサンコエガタカイ、ダマッテイナサイ、アソンデヤラナイカラ」