一月

▽ひとのことのように思っていた銀婚式が、自分にも廻って来たのに気がついて、ヤレヤレ私たちもひとつの峠に立つんだなと思う。顔を見合わせて、ご苦労さまというほっとした安堵と感謝がいりまじり、頬をほてらすのである。
▽といっても、還暦祝いすらやらない無精ものだから、おひとさまをおよびするほどの柄でもないので、いつ間にか過ぎてしまった。
▽此頃、結婚式に招かれた。婿の方の友人が司会者になって、何から何までまことに行き届いたスムースな取運びをやってのけた。進行中、司会者は嫁さんに向って、「あなたは結婚してからご主人に向って何と呼びますか」と、意地のわるいような、甘すっぱいようなインタビューが取り交された。するともじもじすることなく素早く「あとから考えますから、いま申し上げられません」と、嫁さんはうまくかわした。居並ぶものたちはニヤニヤさせた。
▽私たちはさて振り返ってみて、何と呼んだかな、お前だったかあなただったかと首をかしげて見るのであった。わたしにはちゃんと名前があるのに、ヤイヤイが一番多かったと、家内は大勢の前でよく言いはやすのである。それが「ヤイヤイ」ともなり、「オイオイ」にもなるような気がするところを見ると、家内の言った通りでほんとうの名前で呼ぶのが何だか気恥ずかしいような、甘ったれたような気がするままに、一番手っ取り早く「ヤイヤイ」となり「オイオイ」になったのであろうか。みずから頭を下げて恐縮するのみである。
葛飾北斎の三女はお栄といったが、父に学んでよく画を描いた。美人画に長じていた。堤等琳の門人南沢等明に嫁したが、等明より画が遥かにうまかった。離縁になって家へ帰って来た。その後独身で暮して、画作をしながら父の面倒を見た。北斎は彼女を呼ぶとき名前を言わないで「オーイ」といった。それで応為と号した。
▽家内は私のことを「父さん」という。それは子供がいうのにかこつけてそう呼ぶらしい。家内の父が来ると「父さん」の呼称が重なってややこしくなり笑い合う。