九月

▽物臭のせいか、それとも厄介のせいか、同級会を久しく開かないでいる。いつのまにか当番みたいなものを引受けてしまって、オイと声を掛けられると、早速会場をきめて通知を出す。ただそれだけのことなのに、大層みんなに重宝がられる。
▽かしこまって、ここまでいたった経緯を申し述べるわけでもなしに、いきなり「ご苦労さま」の発言から、がやがや雑談にうつるのが例のようだった。なにもあらたまって、齢をとった愚痴なんかひとつも出さず、昔のことを思い出して、なごやかな笑いのなかで自分をたしかめるのが、一番いい雰囲気と思い合っている。
▽学校時代、先生に叱られたことや、授業をさぼったにがい傷あとを掘り越して、嫌味を言いつのる友はもういない。学校に誰よりも近くにいて、成績の方は劣っていたなどと、在学中この気の弱い私を滅入らせた意地の悪い友がいたことを、ふと頭をかすめてみてもさてその仕返しをしようともつゆさら思わない。
▽みんなそれぞれ家庭を持って、今日まで生きて来た倖せを言葉では言いあらわさず、いろいろあった人生の経験を膚にしみつかせ、ただ無性に過ぎてしまったわが学生の頃の俤を辿り、古き学び舎の風物を振り返るのであった。
▽散会近く、きまったように校歌をうたい出し、肩を組んでからだを動かし、心をも動かせるのである。少し酒の入った快さが古くさい友情の美しさに感激し合う。再会を夢見ながら夜空を仰ぎ、とぼとぼとわが家路に向う。同じようにくりかえすそんな会合なのに、このところ久しく開かないでいる
▽どうしたのだろうか、兎に角みんな忙しいからだになった。悠々自適というつもりでいても、身辺がこれを許さない。まだ若いんだぞ、ボヤボヤするな、そう言われるような事情のきびしさである。それにかこつけて集りを持たないとは、どうも物臭だし、厄介がっているみたいだと私は思う。
▽短歌をたしなむ同級生を知っているし、また俳句に関心のあるものもいる。古めかしい型式のどこが人生に通じるのか、いずれ私の川柳と語り合いたい。