八月

▽赤いチャンチンャコを着て赤い頭巾を冠った還暦祝いがあちこちでそれとなく開かれる。自分もその齢になったのに、こちらからそうした催しを考えずにいるので、この一年も半ばを過ぎてしまった
▽長野県川柳作家連盟では還暦句会の肝入りを毎年してくれる。還暦を迎えた仲間が起案して、その人たちが開催の準備や設営をやるのである。その年になって同じ歳の人がいないと、六十歳に近いひと、六十歳を過ぎたが祝いらしい祝いをしなかったものたちも含めて、一挙に居並ぶことにしているが、昭和四十五年は該当者が少く見送りになった。
▽今更、華甲祝いでもないという声を聞く。「ハイ、私もとうとうこんな歳になりました。いやはや仕方のないものですね」と発表するようで気恥ずかしいというのである。まだ六十歳といっても働けるんだという考えがそのひとにあって、お年寄り仲間に入る宣言をこちらから仕向けることは嫌であるらしい。
▽それはたしかにそうだが、ひとつの区切りをつけるにはいい恰好ではないかという人もある。算盤で合計してみて、珠を払うとき御破算に願いましてはという軽い気分でよいじゃあないかと賛意を表するのである。
▽歯が抜け、腰が痛く、目もしょぼしょぼし、耳が遠くなった日頃を考えなければならないと殊勝な気持ちになるのもよいし、快く受け入れて仕方のない人生の区切りにうなずこうとするのもよいわけだ。ひとそれぞれの考えのうえにあって、おのが生きる道に立ちどまってふりかえるのはすがすがしい。
▽臍曲りはどこにもいるし、曲らなくても余裕がないことを口実にさして還暦祝いに心を向けて見ないのである。爺むさいことをいうと、あの人らしくないように思われたりして、作家の衰運につながらせる。そうなってはおしまいだから負けてなるものか、せっせと句を作ることになる。
▽歳を意識しないで、遮二無二振る舞うひともあるだろうが、やはり程度である。ひとつの峠に立って、気負いがらずに、テクテク歩いてゆこうと思う。