四月

▽地方にいると文通をすることで近付くより道はない。わざわざ会いに行く方法もあるが、引っ込み思案の方だったから、それはなるべく避けた。たまに大きな会合で行く機会があったりすると、じかに顔を合わせることが出来て嬉しい思いをした。教えを乞うという道筋からいえば、麻生路郎さんのお宅に大阪まで出掛けていったけれど、丁寧にされたかと思うと、急に叱りつけられたりしてちよっとまごついた。
▽私に逢いに来たと家の者が伝えるので、玄関に行ってみると、若い学生風のひとがいる。夏休みを利用して熊本からやって来ましたという。私にどうしても逢いたかった、川柳の話を聴きたかったという。はるばると見えたその熱心さに、遠来のお客を気持よく迎い入れて話した。そのひともいま社会に出て経済界に活躍している。一方、古句研究の輪講のひとりとして名をつらねているのを見るとこっちでも健在だなと思う。
▽画をよくするといえば東で冨士野鞍馬さん、西で前田伍健さんである。鞍馬さんは作句の方と古句研究の方と並び持つ両刀使いでお元気だが伍健さんはいまは亡い。伍健とはあとで改称されて、五健が初めだった。松山市という遠いところなので、文通でお近付きを得て、いくつも画と句をかいていただいた。番傘の記念大会が正月開催され、磯野いさむさんのおすすめもあったりして行った。そのとき伍健さんと初めて逢った。それきりだった。一期一会である。
▽椙元紋太さんと逢った印象は静岡駅前でそれが一番強い。榎田竹林さんが迎えに来てくれたとき偶然にもそこでばったり行き逢い、先方から「紋太です」といってニコニコされた。あまり語らず、温厚そのもののひとだなと思い、句と文で接するそれまでの印象とピッタリあたっていた。その紋太さんはこの四月十一日に逝くなられてしまった。さびしい。
▽こちらから指定の五句を快く揮毫して戴いて大切にしている。
 蝋燭は叱られてからしゃんと持ち
 将棋見る人の扇子が又とまる
 台所ここから金が流れて出
 身の上を初めて聞いて疑はず
 大笑ひした夜やっぱり一人寝る