三月

▽どこの雑誌にもカラーはある。ペラペラなものでも、部厚なものでも、たしかにカラーが上向きか、維持かの違いはあって、とかく見る眼もいろいろだ。
▽大きな理念に執拗な追求を試みるもの、流れのままに静かな想いをひたすもの、あきたらぬ感慨がひとつの壁にぶつかって懊悩するもの、種々雑多だ。しかし川柳の道にしがみついているのである。
▽月にたった一回の句会を開くにも、小人数の集りの吟社があり、とても個人の家では収容しきれない多人数の吟社がある。そのなかでそれぞれ句への道をいそしんでいる。大きな句会のひとも川柳人だし、小さな句会のひともまた川柳人に間違いない。大世帯は大世帯なりに切り盛りし、小世帯は小さいだけに小じんまりとする。
▽近江砂人さんの「番傘」は大世帯だ。統率は手際よく行っているようである。このたび明治書院から「川柳の作り方」を発刊されてまことに慶祝の至りである。(東京都千代田区神田錦町一‐十六・四八〇円)大世帯らしい風格があふれている。
▽こうした手引書は砂人さんの師岸本水府さんにもあり、それは岸本流、そして川上三太郎流、麻生路郎流といった著書の性格が成せる類書があった筈だ。それでいいではないか。
▽この書を見ると砂人さんとしての主張がそこここに顔を出していて、聞くべきものがある。見のがしやすいところだが、やはり見のがして貰いたくない著者の気持を掬みとってあげたい。
▽これを出され恐らくホッとしておられるだろう。個人として生涯のポイントが出来たということに安堵を得ているからである。それと共に、大きく広く川柳を普及しようという手だてを両立することも忘れてはおられまい。
▽「番傘」の匂いがたちこめるなかで砂人流の主張を満喫出来ることは嬉しいし、たのもしいのである。そして多くの川柳人がその持てる抱負を存分に発揚する手引書がどしどし公刊される機会の場があってほしいとのぞみたくなる。川柳のいろいろの花の顔が充ち満ちてくる日を夢見るのである。